コロナ時代に考えたい学校問題【第141回】
NEWS手土産を持って青テントを訪ねる
「生活困窮者は、自己責任と考える日本」という言葉が目に飛び込んできた。
確かに、働き口は選ばなければいくらでもあるように感じていたが、メンタルや能力そして家族状況からしてそうとは言えない。
教え子の中に、所在が不明な者もいる。当然脳裏に不安がよぎる。生きているのか、食べていけているのだろうかと。
素地は、さして変わらなくとも、性格や家庭環境、身体の課題等のために阻害されたり、自ら離脱していった人生があるだろう。
担任であったあの時、もっとなにかできなかったのかと考えない時はないのだから、根っからの教師なのかも知れない。
生活困窮者の姿は、国によって様々である。ある国では、近づいて来て「お腹がへった。食べるものを買うお金を頂戴」と、身なりも普通の若い女性が声を掛けてきた。日本では「恵んで下さい」と言う下から目線になっている。私の会った欧州の人は、「あなたはお金があるのだから、私達に分け与えなさい」と、ある意味、主張していた。
ある駅で托鉢している修行僧を見掛けた。その近くに段ボールに「助けて下さい」と書いて掲げてうつむき座る青年がいた。あなたならどちらにお金を入れるだろうか。この有り様が今の日本にはある。店頭で宗教新聞を配布する人もいる。今夜の食事や寝る場所もない困窮者は自己責任だからと見捨てているように私には見えてならない。
私の祖父は、ものごいして歩く人が来ると、家に招き入れて、風呂に入れて服を替えさせ食事をさせて送り出していたと、ご近所の方から聞かされた事があった。そこまでするかと半信半疑で今は亡き母に聴くと、事実で風呂には蚤が沢山浮いていて掃除をよくしたと話してくれた。
その為か、現職の校長の頃、手土産をもって青テントを訪問した事がある。奥には高齢の女性もいて料理を出してくれるときもあったが、その姿は今はない。このコロナ禍でどうしているのか、気になって仕方がない。生活困窮者を見聞きする度に、その要因のひとつに私も何らかで絡んでいると思えてならない。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)