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コロナ時代に考えたい学校問題【第116回】

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不祥事を防ぐための鍛錬

 一連の教師の不祥事はコロナ禍の勢いと共に広がっているようにも感じられる。この要因と対処法について私は大学の養成段階と初任から3年目位までの素地の期間がポイントと考えている。結論から指摘すると、不祥事を意識した演習が必要であり、誘惑や欲望に惑わされない鍛練を課されていない事にある。
 それは出来ないと言われる方も想定出来るが、そうした事をしてきたことのない頭でっかちの輩には出来るわけがないのである。
 この心身の鍛えは、教師を目指す個々への内面に迫らないと出来ないものであり、メッキを塗るような訳にはいかない。それも少なくとも一年から半年はかかる鍛練となる。
 具体的には、<親への感謝、自然への感謝、周りへの感謝、自分への感謝、試練への感謝>と<生命への探究、命を頂く行為、生命観、恋愛観、セックス、ジェンダー、LGBT、政治観、歴史観、宗教観、自然科学、医療現場、廃棄現場、農業、漁業、建設業体験など、3Kと言われる最も過酷な仕事をある程度の期間体感する事>といった要素を挙げることができる。
 これら以外にも普遍の倫理道徳を体幹へ染み込ませる鍛練も避けられない。人間力の総合鍛練が必要なのである。
 政治家を養成する塾を経て政治家となり、肩書きに載せて慢心をおこし、もとを忘れて不祥事や罪を犯すものは少なくない。こうした者を卒業させてしまっている現実が、現在の塾の問題を浮き彫りにしていることになる。
 塾や大学の力を評価するのは、卒業した者の人間力に尽きる。
 先日、お釈迦様も間違いをするんですねと問われた。当然であり、キリストも亡くなった後の覇権争いは醜さの極みとなる。本質は何も鍛練されていない証明なのである。
 本質を鍛えるプログラムは、個々への内面に迫らないと出来ないものであり、それは自己へも迫る両刃の剣に挑むことになる。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

コロナ時代に考えたい学校問題