大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第77回】
NEWS強引な授業
本音と建前がよく分かる通知が出た。小学校6年生と中学校3年生は年度内に、それ以外の学年は複数年かけて、学習内容の遅れを補うと説明がされた。最高学年だけが優先的に年度内にやることは、理解度にかなりの開きが出ている現状から詰め込みをさらに強いる事になる。
なぜ、こちらも数年掛けてやるようにするとはならないのか。これは、小中連携、中高連携がスムーズに出来ない事を示しているのではないだろうか。
しっかりと学ばせたい。その気持ちは皆同じである。しかし、無理やり押し込んでも勉強嫌いすなわち「解らない」「私は頭が悪い」をさらに増加させる事になる。ここは、SDGs(持続可能な開発目標)の考え方からしたら、一人も見捨てない、の実践の場ではないだろうか。
先日、学習指導案について論議した。本時の目標は掲げられていても、それはどこまで、どのように到達されたのか。ターゲットは全員なのか?中位なのか?下位なのか?学習問題の表現は理解できるのか?前時の理解が曖昧であったり、理解しても忘れていていたり、注意力が散漫だったらどうなるのか。
現行の指導案では、その進行ばかりが意識され、児童の呟きや素朴な疑問、そしてその中に光る閃きはスルーされ、強引に授業が進められ、低位の子どもは皆呆然とし、見放されていく授業を何度も参観してきている。やる前からの想定で作られた指導案通りにしてはならないということである。
本時で「教えることは何か」、「考えさせることは何か」、「論議させることは何か」を明確にしておけば、あとはアドリブでよいのではないだろうか。意味のない「班での話し合い」や「教師の都合によるワークシート」は時間の浪費や誤魔化しの要素が高い。
真剣な一人一人とのやり取りを今こそ出来るようにする時ではないだろうか。
この時があったから私は学習意欲が湧いた。そして不得手が得手に変わった。プロならそう言わせて見せようじゃないか。人生も指導案通りに行くことはないのだから。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)