大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第24回】
NEWS不安を安心へと変える対応
不測の事態が広がっている。しかし、本当は、想定できていたことではないだろうか?学校が機能不全になると子どもは行き場を失う。親は戸惑う。こうした事態になって何気ない日常の営みが何とありがたいかを痛感するものである。
以前、ノロウイルスに対応したことがある。土日に全児童に連絡を入れた。深夜にやっと完了したが、安否を確認し身体状況を把握するとともに見通しを丁寧に伝えた。ネット配信や携帯メール配信も駆使した。しかし、どう理解しているかが不明なので、電話越しでも声を聞くことに努めた。もちろん出向きもした。
私は、今月末に学生を集めて「限界突破学習会」を予定していた。計画どおりの実施は困難になったが、方法を工夫して行うことにした。具体的には、SNSで課題を確認し、成果を写メで送り、評価をする。学習時間は自己申告にして、学習と休憩込みで1ラウンドとするラウンド式勉強を取り入れ、何ラウンド出来るかネットでやり取りする手法に切り替えた。
こうした学びの有益性を試すチャンスでもある。緊急事態での判断は漏れが出やすい。その修正を図るにもネットは便利である。
ここで必要な判断は、いつ、誰に、どのように流すか、受けとる側の心理はどうかと考え、遅れず、騒がず、個に流すことか、グループに流すことかを考え、不安を安心へと変える対応が求められる。
一斉休校要請で世界は子どもを軸に回っていたことが再確認できた。今回の判断を、我田引水で批判ばかりするのではなく、同苦して難局を乗り越える事が肝要であり、不安を駆り立てる政治家やメディアの有り様は疑って行動すべきである。こうした学び、すなわちクリティカルシンキングの訓練が日本の教育ではほとんどされてない弊害が如実に分かる時を迎えている。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)