生徒指導~小学校段階での考え方~【第98回】
NEWS教育評論家の節操
いかなる容疑者にも小・中学校時代に担任した教員がいたはずである。よって教師はどこかしか心の痛みを感じるものである。
教え子のその子どもが事件を起こしてさえ、担任であった私は無関係とは思えないのだ。
それを印象のみで教育評論家が肩書きをかざして、高飛車に話すのは納得がいかない。シナリオ通りにテレビ受けする話は教育現場を愚弄する振る舞いではないのか。
人気取りや権力に媚びを売ることなく、公正公平な立場から教育者として、実践に照らして丁寧に教育現場を勇気づける凛とした考えを論じてもらいたい。
是々非々の崇高な人間教育の視点に立った論調であれば納得できるが、他の評論家同様に、流れを読んで民衆の心を弄ぶかのように、現場に足を運ぶこともなく傍観した受け狙いの意見を述べてよいのだろうか。
どんな悪人にも親がいて家族や親類がいる。そのほとんどが幼き頃より学校の先生に教えを受けて育ってきているのである。
高学歴の方が悪いことをすると影響は大きい。
教え子を振り込め詐欺の受け子等にしてはならない。
ならば、どうすればよいのか。答えは簡単である。日々の誠実にして、真摯に子どもに関わることの出来る自分を創ろうと努めることである。見えないところの振る舞いが大切なのである。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)