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生徒指導~小学校段階での考え方~【第60回】

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「中核教員」から若手への暴行に思う

 昨日、中核教員から若手教員への暴行などについて神戸市教育委員会が記者会見した。報道によると、校長は教委へ「指導したことは報告したが『解決した』とは言っていない」とのことだった。
 この点こそが校長と教委の実態を象徴している。どちらを信じるかと問われたらどう答えるか。この落としどころは、「勘違い」「行き違い」があったと何時ものように納めるだろう。本質は、そこにはない。
 校長は孤立しているため、会見での発言が不安定になることは分かる。この状況の中で虚偽は用いられない。教委の責任は問われてもあくまで担当であって校長ほどの痛みはないし、後ろだてがあるから言い直しもできる。
 校長の人選や配置に関する権限は教委にある。ところが、校長の心情や資質力量を推し量り、子ども達のために全力で支援すべき位置にあることを理解していない。
 教委職員の中から校長が出る。まさに、「源濁れば末も濁る」ではないだろうか。
 気付いていても出来ない人は多い。それを出来るように支援するのは誰なのかと問いたい。
 つい先日、いじめで自殺した遺族からの再調査委員会で、中二生徒の自殺がいじめと関連し行政の不適切を市長が公開謝罪したばかりの出来事である。問題を指摘したり謝罪では何も改善はしていない証拠である。
 教頭の頃、特殊な思想の保育園で兄弟関係から子どもが集団で学校へ登校しないことが数年続いていた。ホテルでミイラ化した子どもが発見された事件の関連から取材が勤務先の学校にも入った。
 それまで何度も教委に相談し、報告書を出して来たが、教委は記者に対して「学校からの相談も報告も一切ない」と説明されたという。そこで記者を教委へ仕向けたと糾弾させた経験がある。
 個なら普通なのに組織になると膿がたまる。監視をせねば組織にはこうした悪癖が必ず巣くう。力を合わせたあの震災の教訓が何もいかされていない。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

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