生徒指導~小学校段階での考え方~【第56回】
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幼い子どもの行方不明ほど辛いことはない。ニュースにならない事件事故は数知れない。
都内見学へ特別支援の児童を引率して電車で行った帰りに、ひとりの児童がはぐれて見当たらない事態が起きた。
捜索願いも出され手当たり次第に探したが見つからず。翌日、遠方の駅で保護された。油断と過信があったと校長は猛省されたが、一年で降格となった。仕事は任せられても、責任は取らねばならない。
不祥事があると教育委員会幹部が頭を下げて収束させるが、それでは何も解決はしていない。
10月4日、信じられないような出来事が報道された。複数の教員による同僚へのいじめが判明し、別の地域では、いじめに関する記名式アンケートの記入済み用紙を図工の授業で再利用させたという。
あってはならないことだが、いずれも小学校で起こった。こうした行為につながる風土があるから現れる。こうした行為を止める力が本人はもとより、周りにもなかったということになる。
「コンプライアンス」と声高に言っても、どこまで差し込めたかは見えない。本来この職に着くまでの過程で習得させておくものであるが、出来ていない証拠となる。
素地作りは誰人であっても「小学校段階での指導」にあると強調しておきたい。
不祥事を起こす人間の生育歴を見極め、そのズレが始まるのも小学校時点であると私は見ている。これまでも面接の際、職員の生育歴から内面にある価値観を見据え、会うたびに声掛けして指導?助言をしてきた。いかに正論であっても説得力のない人間の指導は内面には届かない。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)