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クロスロード 交差する視点(1)「探究」の不確実性 受け止めて

10面記事

教科・指導

渡辺 貴裕 東京学芸大学准教授

 高校教育の近年のトピックといえば「探究」だ。必要とされる背景には、決められた答えを覚えるのではなく、自ら問いを立てて考えることが求められる社会状況がある。ただ、高校での「探究」の様子を見聞きしていると、幾つか気掛かりなこともある。
 一つは、活動の流れの定式化。テーマ設定から調査、分析、発表までステップが示され、それに沿った進行が生徒に求められる。テーマを設定できず途方に暮れる生徒も出てくる。
 が、これって難しくないだろうか。何もないところからテーマを考えるのも、その後のプロセスと切り離されてテーマ設定だけを先に行うのも。むしろ、明確な問題意識はないまま、いろいろ手を動かしていたら、調べてみたいことが見つかった、ということもあるはずだ。そうした「やりながら考える」というルートを保障できるか。
 もう一つは、百発百中の探究観だ。例えば、私は大学所属の研究者だが、学会発表はしたけれども論文化できなかったもの、手を付けたけれども発表まで至らなかったものもある。最初から「こうすれば必ず成果をまとめられる」というのが見えていたら、それはむしろ研究ではない。同じことは探究にもいえる。探究活動を始めたけれども、うまく形にならずにポシャることもあるはず。それを許容するカリキュラムになっていないと、かえって生徒たちに「探究嫌い」を生み出しかねない。発表の機会や媒体があることは大事だが、発表機会を増やすと同時に「今回は見送り」という選択や、「なぜうまくいかなかったか」の報告が認められてもよい。
 「探究」の形をさせたいのか。問いを持ち、頭を使う活動を生徒にさせたいのか。「不確実性の高い社会に向けて探究が必要だ」などと生徒に言うのなら、まずは私たち大人の側が「探究」の不確実性を受け止めなければならないだろう。

 転換期の高校や大学についての識者によるリレーコラムです。

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