夏の特集展示「戦争の時代の藤田嗣治 1936―1945年」開催中
6面記事軽井沢安東美術館 展示室
<勇敢なる神風特攻隊>1944頃、油彩・キャンバス(中央)
<群犬>1936頃、水彩、墨・紙(左)
<佛印・河内、安南人町>1943、油彩・キャンバス(右)
軽井沢安東美術館
軽井沢安東美術館は、夏の特集展示「戦争の時代の藤田嗣治 1936―1945年」を8月3日(木)から開催している。
本展では、当館所蔵の100号のポスター原画<勇敢なる神風特攻隊>(1944年頃)の初公開とともに、この時期に描いた<佛印・河内、安南人町>(1943年)、<武漢三鎮陥落の日>(1938年頃)などもあわせて展示する。
日中戦争が勃発した1937年、日本に帰国していた藤田は、そのまま定住することを決意、東京・麹町六番町の自宅兼アトリエで制作を続けた。1939~1940年は一時的にフランスと往復はしたものの、戦中戦後の動乱の世を日本で過ごす。
本展は、この時代に藤田が何を思って制作をしていたのかを美術館所蔵のコレクションにある作品を通じて「戦争の時代の藤田嗣治」を考える機会となる展覧会だ。
また、土門拳記念館の協力により、この時代に土門拳が撮影した貴重な藤田のポートレイト写真資料についても紹介する。
藤田嗣治(レオナール・フジタ 1886―1968)
明治半ばの東京で生まれた藤田は、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、26歳で画家になる志を抱いて単身フランスに渡る。「乳白色の下地」の裸婦作品で1920年代のヨーロッパ画壇を席巻、一躍エコール・ド・パリの寵児となる。第二次世界大戦中に日本で作戦記録画を制作。戦争責任を問われ挫折を味わった後、再びフランスに戻り、晩年はフランス人レオナール・フジタとして穏やかな生活を営みながら制作を続けた。
1968年に81歳で亡くなり、自らが建てたランスにある平和の聖母礼拝堂(フジタ礼拝堂)に埋葬される。
【展覧会概要】
名称
夏の特集展示「戦争の時代の藤田嗣治 1936―1945年」
会期
8月3日(木)~9月12日(火)
水曜日は休館
※水曜が祝日の場合は開館、翌平日が休館
会場
軽井沢安東美術館(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43番地10)
開館時間
午前10時~午後5時(展覧会入場は午後4時30分まで)
※会期等は変更になる場合あり。詳細は公式サイトを確認。