一刀両断 実践者の視点から【第117回】
NEWS平和を願う「国歌」の斉唱
《再任用拒否で府に賠償命令 君が代不起立懲戒で元教諭》(共同通信)という見出しの記事が出された。正直まだやってるのかと呆れてしまう。棄却から一転して賠償金とは司法もかなりいい加減に思われてしまう。
それにしてもなぜ国歌と表現しないのか不思議でならない。君を天皇とこじつける輩がいるが、大君なら分かるが君となれば恋人や夫婦を意味するはずである。こうした思想操作のような解釈が表現の自由とやらでまかり通ってよいのだろうか。
私はヨーロッパに行くときに、襟に日の丸のバッチを付けている。日本に誇りを持ち他国も尊敬するためである。
裁判官にも個々に思想があるし、弁護士にも思想があるし、肩書きでは見えない心情が働くものである。
私ならば、国歌を歌わない教師を生徒の前に立たせたいとは思わない。平和の大切さに心から感謝して国歌を歌いたいものである。ちなみに、諸外国の国歌は訳してみると過激な内容で「戦いを煽る」ものが目立つ。その中で平和を願う我が国の国歌は中庸を願っているものである。
右を批判すると左とされ、左を批判すると右とされる愚かさから脱却して、共存共栄の中庸中道へと導くためにも、この判決は私には理解できない。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)