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一刀両断 実践者の視点から【第55回】

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校長になってほしかった教頭

 本来ならば校長になってしかるべき人と、校長になったことにより本人も周りも困る人がいる。この違いは何だろうか。確かに運もあるし力量も関係するだろうが、なってもらいたかった教頭が私には二人居た。
 尊敬すべき点は、細かな配慮と先読みと、何と言っても自分を計算にいれない誠実さであった。私よりはるかに人間的にも豊かで見習うところが多くあった。しかし、校長だった私の元に来たときは受験年齢を越えている者ばかりであった。
 過去に仕えた校長の話を聞くと、どれも器はなく自分の尻のハエを追うことで一杯の面々であった。これを不運と言って済ませてよいものだろうか。実に大損失をしているのである。違う言い方をすれば周りや教委にその実力を見抜く者が居なかったことになる。
 私も課長や教育長に率直に意見をよく言ったので、当時、管理職選考の責任者であった任用室長の私が、自分の面接した新任校長の元へ教頭として配置され、その次はコンピューター室に追いやられ、「あいつは絶対に我が市では校長にしない」と言われた。
 その甲斐あって他市で県下最年少校長として着任し、全国や県の役員にも推挙され、伸び伸びと困難校で学校経営をさせて頂いた。
 ある時、その教育長と会う機会があった。直ぐ様私を見つけ、「私はあなたを変に思ってなどいないんだよ」と、あからさまに雛壇から降りて私にビールを注ぎながら大きな声で話された。
 その唐突で笑えるようなパフォーマンスを70歳を過ぎてするのだから、本人はさぞや後ろめたかったのだろう。このように、役に見合わない人物が教育界にも多くいることは確かである。
 こうした人物に共通するのは、虎視眈々と漁夫の利を狙っているために、姑息であり、貧相を晒している点は何故か共通している。首長の小間使いに成り下がってでも教育長をやりたい輩であった。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

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