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一刀両断 実践者の視点から【第3回】

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論説・コラム

部活動の間違い

 兵庫県内の公立中学校で、部活動の練習中に女子生徒が校舎から転落して重傷を負った事故が報じられた。市が公表した報告書は、吹奏楽部でトライアングルを担当していた生徒が30代の顧問から「廊下で100回たたいてこい。出て行け」と叱責されたことが直接の原因だという。女子生徒は廊下で練習していたが、うまくできる気がせず、音楽室に戻れないと感じ校舎の窓から転落したとのことである。
 この事件事故をどう見るか。私はこうした体質を長年放置してきた周りの責任を強く指摘したい。
 部活優位主義が日本には根付いている。それを奨励している面々も多く存在する。この部活動文化は日本独特であり、他国では成り立たないシステムがある。様々な要因の中で過度な活動になり、それが認知されてきたと思える。主に体制側の都合にも利用できたわけである。
 今回の例は日本の学校の至る所で起きるであろう現象ではないだろうか。歯止めの必要性が叫ばれながらも、部活動の成果が学校の成果として認められると思い込み、管理職や同僚が指導者を制御できなくなり、特権意識を持たせてしまう学校風土があるのではないだろうか。
 未だに「部活がやりたい為に教員になりたい」と明言する学生も少なくはない。児童生徒の中にも「部活があるから学校へ行く」という者も多く存在している。
 以前、学校訪問をした際に「僕は校長先生から期待されているので、部活動でよい成績を出せることが大切に思っていますし、校長先生もそれでいいと支援いただいているのです」と経験10年の青年教師が堂々と語った。その背景に、これまで一度も授業の指導を受けたことがない事が判明した。
 こうした指導者をだれが作ったのか。最初からこうした教師は存在していなかったはずだ。部活動の構成は指導者、児童生徒の原則2者であり、権力構造も指導者から生徒への一方通行である。
 しかし、成果を上げれば上げるほど保護者は応援に力が入り、成果を出せる教師を崇めるようになってしまう。その結果、勘違いが始まり、自分を見失う言動が出てしまうのではないだろうか。あくまで部活動は目的ではなく、手段の一つに過ぎないのである。ましてや情操教育と芸術文化の華である吹奏楽部での出来事だから、明らかな間違いが浮き彫りにされた事件なのではないだろうか。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

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