学校や教師を支える応援団を組織する
11面記事石井 英真 京都大学大学院准教授
授業のあり方が生活の鍵を握る
新型コロナウイルス感染症による休校から学校が再開し1カ月あまり。限られた時数の中での学びを止めない教育活動の工夫や学校内外の連携による感染症対策など、各学校では教職員が一丸となって児童生徒の「学びの保障」に向けて取り組んでいる。そこで本特集では、今学校に求められていること、再開後の現場での学校運営の様子などを紹介する。
「こころの温度」を上げ、信頼とつながりをつくる
不登校気味だった子どもたちも、オンライン授業や分散登校には出てくるようになったという話をしばしば耳にします。「引きこもり」状態が標準となり、学校や友達等との間に程よい距離感ができたり、自由度が生まれたりしたことも関係しているのでしょう。しかし、学校が再開する中で、再び学校に行きづらくなっている子どもたちが増えることが危惧されます。
不登校気味の子どもたちでなくても、子どもたちの多くはストレスや緊張感が高まっています。それに加えて、体育祭、文化祭、修学旅行等の行事、そして、部活動の最後の大会もなくなって、学校生活にメリハリをもたらす見せ場や節目がなくなり、いろんな意味でケジメをつけられず、もやもやを抱えながら、モチベーションも上がらないまま、子どもたちはずるずると学校生活を送ることになります。
従来の行事に代わるものを、子どもたち自身も交えて、むしろ子どもたち主体で考えてみる取り組みは重要です。しかし、それでもなお、授業のあり方が学校生活の鍵を握るという状況が、今まで以上に高まることは間違いありません。
中学校であれば、一時間を45分に分けて7時間で実施するといった状況も生まれうる中、授業がただ時数をこなしたり、内容を網羅したりすることに終始するなら、区切りをつけられないまま進路の不安も抱える最終学年はもちろん、新入生も、新生活のワクワク感を感じられないどころか、小学校って、中学校って、高校ってこんなにつまらないものなのかと、学校に失望してしまうかもしれません。不登校気味の子どもたちはこれまで以上に学校に来たくなくなるでしょうし、不登校の子どもがさらに増えること、静かな荒れの発生、精神的不調などが危惧されます。
授業は最大の生徒指導や荒れ対策だと言われたりしますが、まさに今この点を確認しておく必要があります。授業を進めないといけない、子ども同士のやりとりも難しいということを口実にして、ただ先生が一方的に話すだけであったり、問題を解いてこなすだけであったりする授業になっていないでしょうか。教科書すら開けずに、ノートに思考をまとめることもせずに、すなわち、意味理解や思考を深める活動などを省略して、ただプリントを穴埋めするだけの、ワクワク感も彩もない文字通り無味乾燥な授業になっていないでしょうか。
子どもたちを飽きさせないために実習やグループ活動でお茶を濁すようなこともできなくなり、このような状況だからこそ、教材のネタや教材提示や授業の組み立ての工夫が重要です。
たとえば、アルファベットを学び始める中1の英語の授業、大文字の意味について、学校のいたるところに掲示されているSDGsという言葉が、英語の頭文字を並べたものだということを確認するとともに、ニュースで見かけるCOVID―19の意味をたずね、それも英語の頭文字をとったものだと説明する。さらに、GAFAって知っているかと問いかけ、大型モニターに、グーグルやアマゾンなどのロゴを映し出しながら、その意味を確認する。
そこでは、子どもたちの生活と結び付けながら、社会に目を開いていく志向性ももって、記号ではなく生きたことばとして、子どもたちと英語との出会いの場がアレンジされています。こうして、教科の内容の本質を見極め、子どもの生活と結びつけ、手持ちのツールを最大限に生かすところに、ちょっとした工夫であっても、彩のある授業が生まれ、子どもたち、そして教師の「こころの温度」も上がるのです。
また、こうして教材や授業の組み立ての工夫によって、子どもたちと教師の間に信頼とつながりを生み出す一方で、授業を通して、子どもたち同士のつながりを生み出していく視点を忘れてはなりません。場と経験を共有したり、休み時間などに友達と話したりすることの積み重ねは、教室に交わりとつながりを生み出しますが、授業における共通の題材をもとにしたパブリックなコミュニケーションを通してこそ見えてくる友達の意見や顔、そこで構築されていく信頼関係や文化の存在も重要です。
子ども同士の交流という点について、現状ではむしろ学校という場で密を避けて学ぶよりも、オンライン授業の方が双方向でのやり取りがやりやすいくらいかもしれません。登校時でも学校内でICTを駆使して子どもたちの学びの双方向性を担保できるのであれば、そういう取り組みを進めていけばよいでしょう。しかし、ICTを使った○○というツールがなければ子どもたちのつながりをつくれないという技術頼みではなく、やれることはいろいろとあると思います。
子どもたちの考えやその表現をホワイトボードにまとめて、黒板等で共有しながら、教師と子どもの問答を軸に、それぞれの子どもの発言をつなぎながら構成する、日本の伝統的な練り上げの授業を展開することはできるでしょう。各人の意見が書かれたホワイトボードやワークシートや作品を机の上に置いておいて見て回る、筆談で言いたいことを伝えようとするなど、お隣との話し言葉でのやりとりが制約された中だからこそ生まれてくる新たな教育文化もあるかもしれません。
非常時だからこそ、授業づくりの軸がブレていないか再確認が必要です。不登校の子どもたちを増やさず、むしろ学校に通いたくなるような、そんな授業づくり学校づくりの原点を見失ってはいけません。
教師が子どもたちの学びとケアに集中できるよう体勢を整える
マスクで顔が見えない中、かすかな表情やしぐさから子どもたちの不安や緊張感やストレスを感じ取りながら、休校中に生じた学習面での格差などにも対応しつつ、授業で勝負していかねばならない教師たち。それだけでも大変なことがある程度想像できるかと思いますし、そのために準備や余裕も必要だということも見えてくると思います。
しかし、実際には、消毒作業に追われ、授業以前の子どもたちの安全確保のための周辺業務が膨れ上がり、そこに教師たちは心のキャパを割くことになっています。
なかなか人を見つけるのも一苦労なのですが、PTAや学校運営協議会などにも協力してもらいながら、予算措置も含め、周辺業務を担う人材の確保は急務です。こうして、子どもを総合的に支援すべく、教師たちが授業の準備に集中し、子どもの生活を見守る余裕が持てるよう、教員数のさらなる増員も含めた、条件整備が必要です。
また、オンラインの取り組みや学びやケアの保障のための新たな取り組みなど、リスクをとって挑戦して何か起こったら学校を責めるのではなく、学校を信じて見守り、時には、他の保護者や地域の人々の袖を引っ張って、挑戦をサポートするような、学校や教師の応援団が、保護者や地域の中に生まれてくることを期待します。
学校の取り組みに何か疑問がある場合も、何か事情や意図があると思って、おかしいじゃないかと言う前に、まずは学校や教師の話を聴いてみること、逆に学校側も、学校や子どもたちの状況、および自分たちの趣旨や想いの説明を丁寧にしていくことが大事でしょうし、ヘルプを出して学校に当事者意識をもって関わる人を増やすことで、相互理解も進むでしょう。
学習面については、学習指導員やICT等の活用も考えられてよいでしょう。しかし、あくまでそれは補助的なものであり、教師を支える体制を整えることが本丸です。いわゆる「民間」で提供されるコンテンツやプログラムやサービスは、それぞれに特化した問題意識と強みを持っているのであって、それらをうまく組み合わせても、そこからこぼれてしまうものが出てきますし、特に、複合的なニーズを抱える本当にしんどい子どもたちに届きにくい部分もあるように思います。
こんな学校なら行きたくない、こんな授業なら外注したほうがいい、動画コンテンツや「AI先生」の方がましだと子どもたちから言われないよう、子どもの深層の複合的なニーズに寄り添い、学ぶ権利の保障を軸にしながら、学びとつながりとケアとのベストミックスを探っていく。そうした、学校という場で子どもたちと暮らしをともにするからこそ可能になる、学校と教師が担ってきた、あるいは担いうる仕事の意味を再確認する必要があるように思います。
そうした人間的な仕事に注力することによって、教師の側も自分たちの仕事に手ごたえを感じることができるのではないでしょうか。
※本原稿は京都大学大学院教育学研究科「E.FORUM」への寄稿論文「withコロナの学校生活の始まりでいま必要なこと」より一部を編集して掲載しています。
石井 英真(いしい・てるまさ)
京都大学大学院准教授。日米のカリキュラム研究、授業研究に学びながら、学校で育成すべき資質・能力の中身をどう構造化・モデル化し、カリキュラム・授業・評価・教師教育をどうデザインしていくかが研究テーマ。主な著書に、『現代アメリカにおける学力形成論の展開』『授業づくりの深め方』など。