ICT教育特集 私の視点 これからの学校をどうつくるか
10面記事左・前田 康裕 熊本大学教職大学院准教授、右・林 向達 徳島文理大学准教授
学び手としての教師が育つ学校へ
「新しいかたち」の創造に目を向けて
林 向達 徳島文理大学准教授
休校で学校に突き付けられたこと
新型コロナウイルス感染拡大は、3カ月近い休校という事態をもたらし、眼前に子どもたちを集められないことを想定していなかった教育関係者を慌てさせました。今回の長期休校で、私たちは学校というものの存在について、真正面から考える機会を与えられ、家庭から子どもたちを預かり養護する機能が、いかに経済社会に大きな貢献をしていたか再認識しました。また学習を指導支援する機能が、いかに専門的な職能であるかを認識した保護者も多かったのではないかと思います。
一方で、学校が持つ家庭や地域社会とのコミュニケーション手段が極めて脆弱であったこともあぶり出されました。学校を離れざるを得ない子どもたちに対して、教育的な働きかけをする人的・物的・経済的な資源が普段からほとんど備えられていなかった現実も明るみに出ました。今回の事態に対する各地の取り組みには大きな差が生まれ、平時からすでに機会格差は進行していて均等などなかったことを報道等で目撃するに至っています。
その結果、託児養護機能と学習支援機能を新たに再構築した場を求め、従来の学校は廃棄すべきでないのか。そんな極端な提案さえ、現実的な検討課題になり得ることを思わせる、そういう休校期間でした。
緊急事態宣言解除後、新しい生活様式を踏まえた日常のもとで、生活や学校、経済活動を段階的に再開することとなりましたが、しばらくは、第2波以降あるいは新たな脅威の到来に備える猶予期間を与えられたと考えることが妥当かと思います。
個々の家庭や職場における備えはもちろんですが、学校が行うべき備えは何なのでしょうか。そして今後、学校という場はどうあるべきなのでしょうか。
学習指導要領の再確認こそ大切に
まず必要なのは、学習指導要領の再確認ではないかと思います。平成29年改訂の学習指導要領が目指している方向性を確認することは、むしろこうした状況に遭遇したからこそ、なおさら、意味があるように思います。
例えば、「主体的・対話的で深い学び」を、こうした状況下で検討した時、昨年度末とは異なるイメージが展開するのではないかと思います。分散登校や今後の脅威への備えを前提とした学校教育で、「学びの保障」をどう実現するのか、方法を新たに模索しなければなりません。
そうしなければ、今後も危機毎に、学校機能の停止という事態を招き続け、そのような学校は潰れて当然といった机上の論が具現化してしまいかねません。そうなって損を被るのは次世代、つまり子どもたちであり、今後の学校教育を担い社会をつくる若い世代の関係者です。
学習指導要領を再確認した次は、必要な道具立てをすることです。その重要性においても、タイミング的にも、ICT環境の整備は推し進めておくべき取り組みでしょう。
GIGAスクール構想では前例にない規模の予算が確保されたのですから、積極的に対応すべきです。もちろん、これほどまでに大規模な整備を全国津々浦々で実現させようという話は、説明されているほど簡単な話ではありません。だからこそ、未来に眼差しを向け、最大限に配慮を効かせて準備を進める必要があるでしょう。
学校の場をアップデートするために
学校という場の未来をアップデートするためには、学校を、先生方自身が学びを実践できる場所や文化に生まれ変わらせる必要があります。今回の休校で見えてきたのは、学校の「旧いかたち」を前提として働かざるを得なかった学校の先生方の窮屈な現実だったとも言えます。
「旧いかたち」は、子どもたちが学校にやって来ることを前提として、欠席した場合にはいくらかの不利を甘受しなければならず、定められた範囲と進度に沿って学校活動を展開することばかりが尊ばれ、家庭とのやり取りでは連絡事項を子どもたちに伝書鳩のごとく託し、古い時代の規格で作られた空間に密集して授業や学習を行い、活動に必要なものは前年度に計画して予算を確保しなければ叶わず、先生方は授業や校務で多忙を極め教材研究に割く時間の捻出に苦労する…等。
学校は、先生方が何か新たなことを生き生きと学習できるような職場環境や条件になっていません。そんな先生方のもとで、子どもたちだけが生き生きと学習することを、どうして期待できるのでしょうか。
分散登校や段階的な学校再開という期間は、先生方が教え手としてだけでなく、学び手として学校という場に関わる「新しいかたち」を生み出すよい機会だと思います。それは周囲の人々との関係性やコミュニケーションの仕方を変えるということですし、そのために教育ICTといった道具も役立てられるはずです。
国は、ICT環境整備はもとより、学校教育活動の再開に必要な支援、学びの保障のための人的体制の確保といった経費を補正予算に盛り込みました。こうした財政的なバックアップを単なる「旧いかたち」の復元ではなく、「新しいかたち」の創造に振り向けるべきでしょう。
教育委員会関係者や学校長等も、学校を先生方をも学習者として含めた学習コミュニティという「新しいかたち」に変えていくための配慮と努力と用立てをすべきです。学校教育が今後、何をすべきか、それぞれ意見を出し合うべきと思います。「新しいかたち」もそうした議論から紡ぎ出されていくのです。
林 向達 徳島文理大学准教授
岡崎女子短期大学助教授、徳島文理大学短期大学部准教授などを経て、2015年より同大学人間生活学部准教授。専門分野は教育学、情報教育、カリキュラム論。主な研究テーマは教育と情報の歴史研究、情報教育論。共翻訳本に『情報時代の学校をデザインする』(第5章担当)
自律的な学習者に育てる学校へ
教育観をアップデートする
前田 康裕 熊本大学教職大学院准教授
長期休校から見えてきた学校の課題
新型コロナウイルス対策のための休校期間中に、オンライン授業が一気に広がりました。しかし、そのことによって日本の教育が抱えてきた次のような課題が顕在化したとも言えるでしょう。
まずは、環境面の課題。自治体による情報端末・ネットワーク環境整備の格差が激しいという事実です。隣の地域の学校ではオンライン授業ができるのに、どうしてうちの地域ではできないのかと腹立たしく感じた保護者も多いはずです。また、オンライン授業をやろうとしても、学校のネットワークには厳しい制限がかかっており、ZoomもYouTubeも使えないという地域もありました。
次に、情報機器の使い方の課題。多くの子どもたちは学校でも家庭でも、情報端末を使って自律的に学習する経験をしていないので、それらは、ゲームや動画、メッセージ交換マシンとなっています。したがって、教えてくれる先生やワークシート等の宿題がないと、子どもたちは学習ができないのです。日本の子どもにとって、教科書とノートを使って先生が「教えてくれる」ものが学習なのです。
そして、学習者の多様性の課題。オンライン授業には先生と子どもたちがリアルタイムで行う同期型と、動画やコンテンツを子どもたちが好きな時間に活用する非同期型があります。同期型のほうが一見良さそうですが、自分のペースで学べる非同期型のほうがいいという子どもたちも多くいました。また、不登校の子どもの中には、オンラインの授業には出席できる子もいます。一人一人の学び方は多種多様なのです。
こうした課題は、これまでの「教科書とノートを使って、みんな一緒に、同じ内容を同じ方法で同じ時間帯に学校の先生に教えてもらう」という日本の教育観がアップデートされずにきたことに起因するのではないでしょうか。
自律的な学習者を育てる授業
子どもたちを「自ら学ぶ子どもに育てたい」という教育観をもっている先生たちは、休校中のオンライン授業であっても、そうした教育観に沿った実践をしていました。
たとえば、教師が一斉に同じ内容の学習計画を立てて実行させるのではなく、子どもたちが自分に合う学習計画を立てて実行するというものです。まず1時間目は計算ドリル、2時間目は漢字の練習、3、4時間目は探究型の学習といった具合に、子どもたちが自分で計画を立てます。実行した後には、振り返りを電子カードに記入し、学習支援ソフトを使って、その日のうちに先生に提出します。先生はそれに短いコメントをして返却するという仕組みです。このように「見通し」「学習活動」「振り返り」がサイクルになるよう定着させることができれば、子どもたちは次第に自律的な学習ができるようになるというわけです。
また、子どもたちが学習課題に対して自分で調べて学習をし、その成果をデジタル作品にして提出するという探究的で創造的な学習活動を促す実践もありました。たとえば、「円の面積が半径×半径×円周率で求められることを、低学年の子たちに具体物や図などを使って教える動画を作りましょう」といった6年生向けの学習課題もありました。学習内容を十分に理解していないと作れないので、子どもたちは作りながら学び直すことになります。完成したデジタル作品は大人顔負けの優れたものが多く、何よりも子どもたちが楽しんで制作していることが伝わってきました。
従来の教育観からのアップデート
自律的な学習にしても探究的で創造的な学習にしても、すぐにできるものではありません。「教師が教える」という授業観から「子どもが学ぶ」という授業観への転換が求められます。そのためには、情報端末とネットワークの整備は急務と言えるでしょう。もうすでに教科書だけで学ぶ時代ではないのです。
また、同じ内容を同じように課される「宿題」も見直すべきでしょう。たとえば、小学校低学年から高学年にかけて段階的に自律的な学習ができるような授業を行い、中学生になったら宿題がなくても情報端末を駆使して学習ができるようにしていくといった小中一貫したカリキュラム・マネジメントも必要になるでしょう。
さらには、子どもたちが自分の好きなことをとことん追究できるような探究的で創造的な学習活動も多く取り入れていくべきです。たとえば、国語科の学習では、ニュース番組などの企画を立案し、撮影して映像を編集するといった学習活動や、社会科の学習では、インターネットからの情報を批判的に捉えて論じるといった学習活動です。
こうした自律的な学習や探究的・創造的な学習を日常的に行っていけば、学校を卒業した後も、変化し続ける社会に柔軟に適応しながら学び続けられる人間に育つのではないでしょうか。長期休校明けの学校に求められることは、従来の教育観からのアップデートであり、元の教育観に戻すことではないのです。
前田 康裕 熊本大学教職大学院准教授
公立小中学校教諭、熊本市教育センター指導主事、小学校教頭を経て、2017年度より現職。ICTを学習に活用するための教師による授業実践と学問的な知見を組み合わせて、学校現場の授業やカリキュラム改善にどう活かしていくかが研究テーマ。主な著書に、『まんがで知る教師の学び』『まんがで知る未来への学び』(さくら社)など。