臓器移植を通じて「いのち」を見つめる
10面記事~教科・道徳を中心にした授業づくり~
弊社主催の「いのちの教育セミナー2018」(共催=公益社団法人日本臓器移植ネットワーク)が、11月11日・17日に京都と東京で開催された。国内では2010年の法改正により、15歳未満でも脳死後の臓器提供を行うことが可能になった。これを受け教科書での教材採用も増えており、道徳を中心に授業実践が広がりつつある。本セミナーでは教育関係者らが、講演や事例発表、移植者の体験談などを通じて、道徳科における臓器移植を題材にした「いのちの教育」の可能性と指導上のポイントを検討した。
基調講演
これからの道徳教育といのちの教育の具体的展開
柴原 弘志 京都産業大学現代社会学部教授
道徳が特別の教科となった新学習指導要領では、教科で扱う4つの内容群の一つに、「主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」を位置付け、「いのち」に関わる認識等を系統的・計画的に育むことを目指しています。
これを受け学校現場では今後、(1)「いのち」を多様な観点から豊かに認識できるようにすること、(2)自分との関わりで「いのち」が捉えられること、(3)「いのち」を自分なりに充実・発展させていくことへの思いや課題が培われること、などを考慮した授業づくりが求められます。
学習活動で大切にしたいのは、「自己内対話」と「語り合い」です。道徳における問いは、答えが自分の中にある「開かれた問い」ですから、まずは自分が「いのち」をどう捉えてきたかを見つめ、自分にとっての「いのち」を言葉化してみる必要があります。その上で、教師の考えを学びとらせるということではなく、教師と子どもが多様な感じ方・考え方や価値観を交流し、一緒に考えることが大切です。
そこで注目したいのが、臓器移植という題材です。来年度から使用される中学校道徳の教科書には、その多くに関連する教材が掲載されています。これは、臓器移植が今日的課題であるとともに、子どもたちをより深い思考へ誘えるテーマでもあるからです。
自分の臓器を提供する場合、家族の場合、あるいは自分や家族が移植の必要な病気になった場合など、立場を変えて多面的・多角的に考え、語り合いによって深めることで、「いのち」についての認識がより豊かで深いものになっていきます。
こうして培われた豊かな「いのち観」をもとに、改めて自分自身を見つめ、他の「いのち」とともに自らの「いのち」を大切にし、いかに生きるかを生涯問い続ける子どもを育める、そうした実践に取り組んでいただきたいと思います。
特別講演
こどものいのちと臓器提供~小児救急の現場から~
種市 尋宙 富山大学医学薬学研究部小児科学助教
日本では2010年の改正臓器移植法の施行により、従来認められていなかった15歳未満でも、家族の承諾により脳死後の臓器提供が可能になりました。以降、国内で15歳未満の子どもによる臓器提供(心臓)を受けた事例は9例あります。一方で、同じ期間に海外渡航により心臓移植手術を受けたケースは28件です。
私は大学附属病院の医師として、6歳未満の子どもの脳死後の臓器提供に関わり、ご家族とも接した経験があります。わが子の死という悲しみの中で臓器提供を決断したご家族は、「周囲の人に話を聞いてもらえてよかった。それがなければ、子どもを失ったことを抱え込んで家族が壊れていたかもしれない」と振り返っていました。また、「自分の子が病気だったら臓器提供を待ち望んだはず」と、立場を変えて考えることで提供を決めたと語るご家族もいます。
私はこうした皆さんの考え方に触れてみて、脳死後の臓器提供は、子どもの死という理不尽な出来事を家族が受け止め、立ち直るきっかけになることもあると実感しています。まだ件数は少ないですが、今後わが国でも終末期医療における選択肢として、また看取りの一つとして存在しうると思います。
しかし、臓器提供だけが正義ではありません。重要なのは、その人の生き方が全うできる環境をつくることです。そのためにも、生きることや死ぬこと、いのちの在り方について、子どもも含めた家族や身近な人たちと話し合い、考え続けることが大切です。その先に、子どもの脳死や終末期医療の在り方に対する、この国独自の姿が見えてくると思っています。
こどもの「命の火」が消えるとき
植田 育也 埼玉県立小児医療センター小児救命救急センター部長・救急診療科科長
小児救命救急センターの職務は、何よりも子どものいのちを救うことです。しかし残念ながら、救命できずに当センターでも年間30名ほどの患者を看取っています。そのご家族へのケアも私たちの大切な役割の一つで、特に脳死患者の看取りの一環として、臓器提供という選択肢があることを提示しています。
まず、残念ながら脳死と判断される場合は、診察の所見、脳のCT画像や脳波を正常な場合と比較して示し、脳全体の機能が失われていることをお伝えします。その上で、脳死判定基準に沿った検査の内容と結果をお知らせして、脳死であることを告知します。脳死の患者さんは人工呼吸を続けている限りは静かに眠っているようにも見えますが、濃厚な延命治療を差し控えると、ほとんどの場合は短期間で心停止に至ります。
ご家族には大変つらいことですが、回復の見込みがないことを事実としてお知らせした上で、延命治療を続けるか、差し控えて看取るかという提案をします。そして看取る場合の一つの選択肢として臓器提供があり、このことをよく知りたい場合は詳しい説明が聴けることをお伝えし、ご家族の判断に委ねます。
何の迷いもなく臓器提供を決断できるご家族はいらっしゃいません。あるご家族は、「この子の体の一部が他の人を助け、この子が生きるはずだった時間を過ごせるのなら、この子は喜ぶのではないか」と考え、提供を決めたと語っていました。
臓器提供は、自分が提供するケースだけでなく、看取る側からも考えてみることが大切です。最愛の人がもし脳死になったらどう対応するのか。教育者として、一人の人として、ご家族と一緒に考えていただきたいと思います。
体験談
臓器移植の体験談から『命』の大切さを伝える
横山 美紀 北海道札幌西陵高等学校教諭
私は十数年前、リンパ脈管筋腫症という難病を発症し、肺移植を受けました。手術を経て職場に復帰後、病気のことやレシピエント(臓器提供を受ける患者)としての経験談を、保健の授業や自分のクラスに向けて話してきました。その後、3年生の総合的な学習の一環として講演したほか、近隣の学校にも招かれてお話をしています。
講演では、肺機能が低下して日常の動作でも呼吸が困難になる病気の苦しみから解放されたいと思う一方で、人の死を待っているようなつらさなど、レシピエントとしての経験を、闘病中の写真なども見せながら語ります。また、誰かのためを思って臓器提供の意思を示したドナーさんや、その決断を尊重したご家族の思いも考えてもらいます。
さらに、移植は必ず成功するわけではないこと、手術後も免疫を抑える薬を飲み続ける必要があること、レシピエントが救われるという背景にドナーさんのいのちが失われたという事実があることも伝えています。
講演後の生徒たちからは、「生きることは当たり前ではなく、ありがたいことだと感じた」といった感想が届きます。今後も私自身の体験を通じて、生きることやいのちの大切さを伝えていきたいと思っています。
授業実践発表
本当に伝えたい!! いのちの授業~臓器移植~
佐藤 毅 東京学芸大学附属国際中等教育学校教諭
高校保健で、臓器移植も含めた「いのちの授業」を2000年度から行っています。現在は道徳でも実践しているほか、ゲストティーチャーとして他校で道徳の出前授業をする機会もあります。
死に関して触れる題材ですので導入にじっくり時間をかけてから、臓器提供・移植に関する個人の権利と、脳の特徴や機能、脳死、臓器の種類、臓器移植に関する法律、世界各国との比較などの基本的知識を押さえた上で、自分や家族がその立場になったらどうするかを考えてもらうというのが授業のおおまかな流れです。
権利については、提供を希望する・しない、移植を受ける・受けないの4つに、「まだわからない」も加えた「4つの権利+1」として紹介しています。そして、生徒たちに自分事として考えてもらい、家族でも話し合ってもらうことが大切です。授業では、最後に家庭での話し合いを支援するワークシート(図1)も配布しています。
臓器移植というテーマは、道徳の4つの内容(「主として自分自身に関すること」「主として人との関わりに関すること」「主として集団や社会との関わりに関すること」「主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」)全てに関連する、いわば“四刀流“の使い方ができる題材です。こうした授業は、互いの考えを認め合う態度や思いやりの心を育てることにもつながるので、学級経営の観点から年度初めに取り入れることをおすすめしたいです。
図1=ワークシート
臓器移植の現場から
「いのち」をさまざまな角度から考える機会に
島野 祐介 日本臓器移植ネットワーク臓器移植コーディネーター
コーディネーターとして活動する一方で、学校現場で行われる「いのちの授業」のゲストティーチャーを務める機会があります。
授業の導入では、臓器提供と移植に関する4つの権利を紹介し、どの考え方も尊重され、提供や移植を説得・強要されることはないことを伝えます。次に15歳以上なら意思表示ができることを知ってもらい、臓器提供意思表示カードやマイナンバーカードなど、自らの意思を示す方法も紹介しています。加えて、もし自分の家族が亡くなった場合に、臓器提供にどう対応するかも考えてもらいます。
授業後半は各自の考えをボーン図などで整理し、これをもとにクラスで話し合ってもらいます。子どもたちからは多様な意見が出ますが、いずれも個人の意思として尊重されることを再確認します。
こうした授業は、死や臓器提供への正しい理解を促すだけでなく、家族の看取りも含めて、いのちについてさまざまなことを考える機会になると思っています。
意見交換会
実践上の課題を参加者と議論
セミナー後半の意見交換会では、学校現場で「いのちの授業」を実践する際の課題について、参加者と講演者、実践発表者らが話し合った。質疑応答の一部を紹介する。(敬称略)
―小学校でも扱えそうという印象を受けましたが、何年生以上なら可能という目安はありますか。
種市 子どもの自殺は小学校4年生前後から発生します。生死を理解する部分に関しては、10歳頃から誠意を持って話をするのは大事なことだと思います。物事を多面的に見て、いろいろな立場の人がいることを学ぶことも重要です。
―授業を行う際に、保護者への配慮や対応はどのようにされているのでしょうか。
柴原 各家庭の実情を確認し、臓器提供に関係のあるご家庭には事前に授業内容を説明しています。その上で、参観日に保護者も参加する形式で授業が行われたこともあります。教員が十分な配慮と説明を行い、子どもや保護者から事前に理解を得ておくことが大切です。
―小学校6年生理科で「いのちの授業」を実践したところ、「他人の臓器が自分の中に入るのは嫌だ」という感想が出ました。こうした考え方に対してはどう対応すべきですか。
佐藤 その児童の考えは4つの権利の一つですから、まずは絶対に否定せず、尊重してあげることが大切です。私は子どもからそうした意見が出た場合は、じっくりと議論を深める材料として取り上げるようにしています。そして、保護者にも子どもの様子を伝えて、家庭でも話し合うように働きかけるようにしてきました。
中学生用小冊子『いのちの贈りもの』を配布
厚生労働省では、中学生が臓器移植について学ぶ小冊子「いのちの贈りもの」を制作・配布している。
到着予定は1月中旬で、全国の中学3年生を対象に送られる。臓器移植を題材としたいのちの教育の教材として活用しやすいよう、教員用の解説リーフレットも添えられている。
また、(公社)日本臓器移植ネットワークでは、授業で使える臓器移植に関する映像教材や意思表示カードなどを、要望のある学校に無料で送付している。