グローバル化の波に どう向き合うか
10面記事田村 哲夫・渋谷教育学園理事長
産業界から始まったグローバル化への対応という課題に、教育界はこれからどう向き合えばよいのか。多くの海外大学進学者を出している幕張高校と渋谷高校の校長で、渋谷教育学園理事長の田村哲夫氏に聞いた。田村氏は、自国の伝統や歴史を踏まえた上で多様性を受け入れる新しい「道徳」の重要性を指摘する。
道徳の議論不可欠
伝統踏まえ 多様性受け入れる
―政府は「グローバル人材」を掲げていますが、ご自身にとって「グローバル化」とは、どういうことでしょうか。
グローバル化というのは、要するに「多様性を受け入れる」ということですよ。多様性こそが発展の原動力であることは、歴史が示しています。
旧大陸の西半分の小さな半島であった欧州で、なぜあれほど強大な力を持つ文明が発達して、世界を支配したのか。それは、多数の言語と民族が併存し、刺激し合って文明を創り上げたからです。
欧州が席巻した理由を、安西さん(中央教育審議会の安西祐一郎会長)は三つのキーワードで分析するとよく分かると言っていますが、私もその通りだと思います。
その一つ目は伝統です。これを無視して国が何かしようというのは無理です。例えば、日本では生徒に掃除をさせていますが、あれは日本に仏教文化が強く残っているからです。こういう部分は生かす意味があります。
二つ目のキーワードは近代化です。学校改革と大いに関係があるので、丁寧に考えなければいけません。
近代化とは何を意味しているか。私たちの国にとって、それは明治維新です。300近い藩に分かれていたばらばらの国が、国家主権を持った日本という一つの国になりました。坂本龍馬が土佐藩を脱藩しましたが、それは土佐藩士であることをやめて、日本国民になるという意思表示だったわけです。
ただ、国家主権を認めるには正統性がなければいけない。その正統性が天皇制の下における国民主権、具体的に言えば憲法です。欧州社会に対して憲法をつくることを約束したのです。
しかし、独立国家として、国民主権を認めた国にするためには教育が必要です。
日本には綜芸種智院から始まる学校の歴史があり、江戸時代には当時、世界に例のないほど繁栄した藩校や寺子屋という学校制度がありました。識字率はおそらく世界で最高だったと思われます。
その伝統を近代化によってどう変えるか。それを象徴的に表したのが「教育勅語」でした。私は小学4年生の時に終戦を迎えたから、いまでも空で言えます。教育勅語は天皇制の下で国家体制を維持するための教育で「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」という文章で始まりますが、ここに「徳」が出てきます。
安倍首相や下村文科大臣は、教育勅語の徳育をよく口にしていますが、明らかに時代錯誤です。教育勅語は独立国家としての主権を維持するために徳育を中心に据えたのです。
いまは国家主権が否定される時代に入っています。欧州にはEUがあり、アフリカではAUという組織があります。世界的に国連がどんどん力を付けて、国家主権をどうやって手なずけようか、という時代です。藩の統合の基盤を教育に求めたのは正しい見方だと思いますが、その時に役立った考え方がいま通用するわけではありません。
それで、最後のキーワードであるグローバリズムが出てきます。これからの日本の方向性に基づいた道徳教育を議論しない限り、子どもたちが納得する徳育にはなりません。
知性をしっかり伝える
日本に足りない批判精神
―では、グローバル時代の道徳教育はどんな内容でしょうか。
私が考える柱は、インテレクト(知性)をもっとしっかり伝えることだと思っています。10年前に「アメリカの反知性主義」という本を訳しました。これは知性を、もう一度捉え直した書ですが、知性と道徳教育は深く関わっています。
フランスでは2015年の9月から全国一斉に教科化された道徳教育が行われます。
フランスは、大統領になると就任演説の中で自分が尊敬する人をテーマに挙げて、なぜ尊敬するのか理由を述べる慣習があります。オランド大統領が挙げたのがジュール・フェリーという人物です。日本ではあまり知られていませんが、フランスでは国葬にもなった、とても有名な首相です。彼は社会主義者だけど帝国主義者でもあり、彼の時代にフランスのアフリカ植民地は拡大しました。
ジュール・フェリーの最大の功績はフランスに義務教育と女子教育を確立したことです。彼の活躍した時代はものすごい男尊女卑の社会でしたが、それを変えるため女子教育を整備したことが高く評価されています。
彼は義務教育を整備するに当たって、ライシテ(政教分離の原則)を打ち立てます。フランスはカトリックの国ですから、学校の過半はカトリックの学校でイスラム教の子どもは入らない。そうなると当然、義務教育にならない。そこで公の場から宗教を排除しました。宗教は私的な部分だけに制限すると宣言して実行しました。
宗教を排除したら、当然のこととして徳育が教科になってきます。事実、ライシテを実行して、義務教育段階に教科としての道徳を入れ、その代わり宗教がなくなりました。
ところが、フランスでも宗教が力を失い、日曜日に教会に行くこともなくなっている。一方で、義務教育で行われる道徳も現状では、ほとんどなくなりました。それに対してフランスの大人は危機感を持ちました。こうした経緯で、議会が2015年から道徳を教科としてやることを決めたのです。
フランスの新しい道徳教育の内容は少しずつ伝わってきていますが、面白いと思ったのは理性に基づく批判精神、これが道徳教育の重要な柱に入っていることです。
―日本の道徳と批判精神という考えは結び付きません。
そこが日本に足りないところです。最初に言ったようにグローバル化とは多様性を認めることです。そこで批判精神がなかったら多様性を認めた途端にあらゆる組織が寄り合い所帯になってしまう。寄り合い所帯では、何もできません。多様な価値観が単に併存しているだけの組織になってしまう。それをまとめ上げる力が必要です。
学校の中で伝統を残し、近代化に応じて準備したものを取り入れ、さらにグローバル化に対応したものを取り入れる。全てを存在させながら学校として機能させるには何かまとめがなければできない。それが批判精神―インテレクトというものです。
この辺りから、インテレクトの定義をしなければいけませんが、先ほどの「アメリカの反知性主義」を書いたホーフスタッターは次のように定義しています。「何か問題が起きたときに、問題の本質を見抜いて、最も適切な回答を用意して、それを実行する」。これは一般的にインテリジェンスと言う。それがインテレクトになるためには、プラスアルファが必要である。その一つがピューリティ。敬虔(けいけん)な気持ち。もう一つがユーモア。人間性に対する理解です。
これによってインテリジェンスがインテレクトになるとホーフスタッターは言っています。
―日本の伝統的な道徳教育とは随分違いますね。
日本が、伝統と近代化という歴史の中でつくりあげてきたものに、どうやってそれをまぶして学校教育に提供するか。本当は文部科学省がやらなければいけない仕事です。そうしなければ実りある道徳教育になりません。米国では批判精神を欠いた結果、マッカーシズムのような問題が出てきます。現在のティーパーティー(茶会)も完全にそうです。源流はピューリタリズムにあると思いますが、道徳教育をうまくやらないと二の舞いになります。
英語教育改革後は実行のみ
―渋谷教育学園は高校卒業後に海外の大学に進学する生徒も多いですね。
この学校をつくった時に考えたことですが、戦後、日本が進めたさまざまな改革で、活躍した人たちには満州や台湾といった戦前の植民地生まれの人が多い。現在、代わりになる人は誰だろうと考えたら、それは帰国生でした。当時は、帰国生に対して日本人化させようとする教育観が一般的でしたが、それは間違いだと思ったのです。向こうで受けた文化や考え方の違いをできるだけ大事にしました。それが結果的に、日本人の生徒を刺激し、海外へ目を向ける生徒を増やしました。
―文科省は前提として英語教育改革に力を入れています。
英語教育はグローバル教育の一つですが、言語自体の気付きを子どもたちに持たせなければいけません。例えば、日本の国語教育は、中身の大部分は道徳教育です。これを日本語教育にして、言語の多様性や日本語の持つ特徴などを意識させるべきです。
私は英語教育の中身を変えるのは、それほど大したことではないと思っているんです。戦後日本の英語教育は随分変わりました。今は、それをきちんとやればよいだけです。
入試改革や4技能指導とか、そういうことの必要性は先生たちも分かっているはずです。分かっているけど、できないからやっていないだけの話です。これまで英語教育改革の方向性について反対する英語の先生を見たことがありません。
危機感を覚えるなら、文科省がお金を出して、外部検定試験で一定の点数を取らなければ教員資格をなくすなどと言えば、みんなやりますよ。それをせずに、号令だけ掛けていてもなかなかやりません。もちろん変えようと思うなら排除の工夫をしなければなりません。何年以内に取りなさいとか。反対を恐れて何もしていないから改革的なことができない。もう議論の時代は終わった、後は実行のみ。文科省幹部がよく言います。英語教育に関しては、その通りだと思います。
たむら・てつお 住友銀行を経て、昭和37年に渋谷教育学園理事就任。58年に幕張中学・高校、平成8年に渋谷中学・高校を創立する。同校は有名国立大学の合格者を数多く輩出し、注目を集めた。海外進学する生徒も多く、今年ニューヨークで開かれた模擬国連大会では、幕張高校の生徒が日本で初めて最優秀賞を受賞した。中央教育審議会副会長などを歴任し、現在、ユネスコ・アジア文化センター代表理事・理事長。訳書に「アメリカの反知性主義」(みすず書房)。東大法卒、昭和11年生まれ。