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一刀両断 実践者の視点から【第652回】

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ドイツを訪ねて

 ゲッティンゲン大学(ドイツ)で、「行動する道徳」をテーマに発表する機会を得た。この研究会は歴史が古く、国際会議のような形式で開催され、欧州各国から学校現場の先生方が集まっていた。不思議なことに、一見しただけで先生方の担当する学校種が分かるのが興味深かった。
 私の発表は、幼児教育から初等教育を対象とするブロックで行われた。モラルに関する研究発表は珍しく、多くの質問を受けた。議論の中で、宗教離れが進み、少子化が加速する中、労働人口の確保のために難民を受け入れることに関するさまざまな価値観の違いが、社会的な合意形成の難しさを浮き彫りにしていた。
 前日にゲーテハウスを訪れ、ゲーテの才能がどのように育まれ、開花したのかを学んだばかりだった。そのため、「観念論ではなく、行動によって困難な道も切り拓ける」という実感を持てた。
 ちょうどドイツでは選挙運動の真っ最中だったが、日本のような選挙カーはなく、大きな顔写真のポスターが電柱に貼られているだけだった。しかし、それらには落書きが多く、取り締まりが緩いことに驚いた。また、主権者教育の一環として、候補者が学校を訪れて生徒と直接議論を交わす。日本の主権者教育との違いが明確に感じられた。
 今回のドイツ訪問は3回目だった。雪の季節でもあったため、交通機関を利用しての移動を試みた。駅には改札がなく、駅員は乗車後にチケットを確認する方式だった。ドイツの鉄道は発車ホームが直前に変更されることがあり、戸惑うこともあった。
 駅のガラスやステンレスの壁は厚く、線路の幅や枕木も頑丈に見えた。ドイツは古い建物を大切にする誇りを持つ一方、わずかな地震でも大騒ぎになることが印象的だった。
 ニュースでは選挙の話題ばかりが取り上げられていたが、今回の選挙の争点は明らかに難民政策だった。ドイツ国民の間では、自分たちの税金が難民支援に使われていることへの不満が高まり、政権交代が起こる瞬間に、私たち夫婦は立ち会うことになった。
 ドイツでは、難民は入国後すぐに仕事ができるわけではなく、政府が提供する語学教育を1年間受けた後でなければ就労が認められない。その間の住居や生活費はすべて政府が負担する。この政策に対し、税金の使い方への反発が強まっていた。
 社会保障が充実している反面、浮浪者が多く、街中のゴミの散乱も気になった。以前は日本円も歓迎されたが、今では表示が消え、支払いはカードが主流となっていた。トイレの使用にもカード決済が必要だった。
 市場ではさまざまな国の料理が並び、肉と野菜は豊富だったが、魚類は少なかった。時折見かける子どもたちの姿を見ながら、ドイツの未来がどう動くのかを考えずにはいられなかった。
 ローテンブルクを訪問中、目の前で老婦人が倒れた。周囲の人々がすぐに駆け寄り、私が救急車を呼んだ。数分後、救急隊員が到着したが、私が気になって最後まで見送ったところ、振り返ると周囲には誰も残っていなかった。確かに、その場にいても何もできないかもしれないが、この割り切りの早さには驚かされた。
 その後、訪れた国会議事堂には、イギリス、ドイツ、フランス、スペインのチラシしかなく、訪問者の傾向がうかがえた。この時期に日本からの訪問者は極めて少なく、周囲のほとんどが近隣諸国の人々のように感じられた。
 今回はトランジットの関係でイスタンブール空港にも長時間滞在した。往路ではラインで連絡を取り、イスタンブールから八千代市の先生方にも挨拶や提言をさせていただいた。これもコロナ禍がもたらした新たなつながりの一つかもしれない。
 ハブ空港であるイスタンブール空港には、言語も服装も異なる人々が世界中から集まり、それぞれの目的で行き交っていた。その光景を見ながら、過去の歴史を学ぶだけでなく、「今、私たち自身が歴史を作っているのだ」という実感を得た。
 ブレーメンから、オペラソリストのY.K.さんに案内していただいた。この方は、私が市内コンクールに出場する合唱クラブの指揮を急遽担当することになった際、卒業生であり、芸大生であったため指導してくれた。このことが縁となった。教職という仕事の特性上、教え子が世界中に点在している可能性が高いのかもしれない。そのつながりに、改めて感謝の気持ちを抱いた。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

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