80余年にわたって生き続ける学校教育のなかの「そろばん」
8面記事
数の仕組みの指導に最適
そろばんで概数・概算など 豊かな数感覚を養う
科学技術の進歩に伴い生活に関するあらゆることが便利になり、その一方で他者との関わり方も大きく変わりつつある現在。キャッシュレス化も浸透し、計算する機会の減少、貨幣の扱い方の変化など、人間と「数」との関係も急激に変わりつつあるといえる。数の概念の誕生から現在まで、人間はどのように「数」と関わってきたのか、これからどのような教育がなされていくのが望ましいのか、上垣渉氏(三重大学 名誉教授)と谷賢治氏(公益社団法人 全国珠算教育連盟 日本そろばん資料館 名誉学芸員)が語り合った。
子どもの認識形成を促す 「身体知」としてのそろばんの役割
谷 賢治
公益社団法人 全国珠算教育連盟 日本そろばん資料館 名誉学芸員
上垣 渉
三重大学 名誉教授
公益社団法人 全国珠算教育連盟 理事・学術顧問
数字の誕生以前から意識され人間とともに発展してきた数
―まず、数の概念が誕生した背景や発展した経緯、学問としての数の現在地、数の未来といったことを教えていただけますか。
上垣 記録として残っている「数字」で最も古いものは、紀元前3500年から3000年くらい、メソポタミアのくさび形数字とエジプトの数字です。しかし人間が「数」を意識し始めたのはもっと古く、今から約2万年以上昔だと言われています。刻み目の付いた動物の骨が発見されていて、刻み目一つが品物一つ、あるいは「日の出から日没までが1回」などという記録ではないかと推測されています。つまり、数字のないころから数は意識され、人間の生活とともに発展してきたのです。
計算のスタイルで最も古いものは、砂をまいた板の上に線を何本か引き、その上に小石を並べて計算する「線そろばん」で、そこから進化したのが西洋そろばんの「アバクス」です。現在私たちも使っている筆算はインドで発明され、アラビアを経由して13世紀初頭にヨーロッパに伝わりました。そこでアバクスと併用され、次第に筆算の良さが理解されるようになり、西洋でも筆算中心になっていきます。この十進法と位取りの原理に基づいた計算法を、私たちは日々無意識に使っていますが、実は人類の最大の発明ではないかと私は思っています。
数に関する知識が蓄積され、探究、発展させていったものが、数に関する学問です。広くは「数学」と呼ばれますが、図形に関することは除き、数に特化した「数論」という分野があり、現在もいろいろな研究が行われています。数学界での最近一番のニュースは、2024年10月頃に新聞報道された、52個目のメルセンヌ素数の発見です。古代ギリシャの頃には4個ほど発見されていたのですが、それからしばらく見つからず、5番目は17世紀にようやく発見され、その後、コンピューターの発展とともに多く見つかるようになりました。しかし、スーパーコンピューターをしても簡単に見つかるものではありません。今回発見されたのは「2の1億3627万9841乗(じょう)引く1」という数字ですから。
谷 桁数でさえ、暗算では解けませんね。
日本に限って数学の歴史をお話しすると、日本には3回、数学が入ってきました。最初は奈良時代で、算木と掛け算九九が入ってきました。次に、江戸時代の少し前にそろばんと割り算の九九が入ってきました。割り算の九九は、そろばんで割り算をするときに使うもので、掛け算九九と同じように唱える言葉があります。「二一天作五(にいちてんさくのご)」から始まる44個の句があります。割り算は四則計算の中で一番難しく、反対に一番やさしいのは足し算ですが、この九九を使えば、足し算を使って割り算ができるものが多いので、江戸時代の人たちは暗記したのです。これが昭和15年頃まで続きました。
明治維新の少し前になると、今度は中国ではなく欧米から筆算と算用数字が入ってきます。それまで日本には漢数字しかなく、タテ書きだったので、玉がヨコに並んでいるそろばんで、計算をするのは大変でした。ですからたくさんの計算をするときは1人が問題を読み上げ、もう1人がそれを聞きながらそろばんに入れていったのです。こういう江戸時代の人たちの苦労を、私は小学校のそろばんの授業などでも話しています。和算の本に載っている植木算やねずみ算、油分け算、鶴亀算などは、今の算数・数学にはもっと生かされていいのではないかと思います。
おつりの計算から為替レートの計算まで
学習意欲を刺激するそろばん
―学校教育の中で、そろばんの価値が見直されている側面もあるようです。学校教育上のそろばんの位置付けの変化や有用性、可能性にはどのようなものがあるでしょうか。また小学校でそろばんを学習する意義はどこにあるのでしょうか。
上垣 学校教育におけるそろばんの位置付けが大きく変わったのは、平成10年の学習指導要領からです。「低学年の数と計算の指導に当たっては、そろばんや具体物などの教具を適宜用いて、数と計算についての理解を深めるよう留意する」と書いてあります。低学年である1、2年生はそろばんで計算はしませんから、算数を教えるための道具「教具」として位置付けられるようになったわけです。
小学校1年生では、数と、足し算、引き算の勉強が始まります。その基礎は十進法と位取りの原理ですが、1年生にとって10は結構大きな数です。ですから5で一区切りして、「5と1を足して6」「5と2を足して7」という教え方が多いと思います。この考え方にしても十進法にしても、そろばんの玉の入れ方と考え方が同じですから、数の仕組みを教える際にそろばんを用いるのはとても有効なのです。
谷 そのあたりをもっと、教育現場にも教育行政にも伝えていくのが私たちの使命だと思うのです。そろばんは5を経由した十進法です。何と何とを合わせたら5になるか、何と何とを合わせたら10になるかはとても大事で、この二つさえ知っていれば、4歳児でも5歳児でもそろばんができるのです。一つのけたに9までしか置けないそろばんですから位取りは計算していくうちに理解できます。
小学校でのそろばんの授業では、例えばそろばんで「3足す4」の方法を考えさせます。玉三つを動かしたら残りの一玉は一つしかないので、そのまま4を足すことはできません。どうすれば足せるのかを子どもたちが自ら考えて「5を足して1を引く」という方法を見つけ、理由も説明させます。それが説明できることが大事なのです。これと繰り上がりが理解できたら、何題か練習します。
以前から指導されているのは、おつりの計算です。そろばんに品物の値段を置いただけでおつりが見えます。梁(はり)(一玉と五玉を分けている白い線)についていない玉に1多くした金額がおつりです。児童は、ここにも数があるのだと気がつきます。数を多面的に見る学習にもつながります。他には、最大公約数、最小公倍数の計算もそろばんなら簡単にできます。他にも、消費税の計算や時間の計算、単位の換算、為替レート(ドル・セント、円・銭)の計算など、いろいろな活用例があり、このようなものを示して学習意欲を高めることも必要だと思います。
上垣先生から学習指導要領のお話がありましたが、そこには「豊かな数感覚を育む」ということも書かれています。例えば、合格率が17%だったら、6人に1人が受かるのだな、というような感覚です。筆算もそろばんも答えが1違っていても不正解ですが、世の中はそれよりも、いわゆる概数、概算も多く使われますから、そういうものも含めて数に対する感覚を高めることにもつながります。
基礎的な概念獲得に有効
そろばんを通してもっと数を楽しんで
―数字に関する感覚を養うということですが、具体的に教えていただけますか。
上垣 人間が何かを認識したり概念を形成したりするには、外界との接触が欠かせません。身体を通して、例えば紙に触って「これは少し厚めだな」「これはつるつるしているな」と感じたり、あるいは「温かな雰囲気」や「気まずい雰囲気」を身体全体を通して感じ取ったりします。このように体を通して得るさまざまな知識・技能全般を、私は「身体知」と呼んでいます。生命体でない人工知能にはそれはできないので、「人工知能が人類の知能を乗り越える」というようなことは起こらないと思います。
身体知の一つとして強調されているのが、手指です。手指からの身体知は外界との直接的な接触ですから、第一次接触面です。これに対してコンピューターなどの機械を通して得る知識は間接的ですから、第二次接触面といわれ、第一次接触面と比べて概念形成の深さは浅くなります。第一次接触面であるそろばんは頭に思い浮かべて計算ができ、第二次接触面である電卓は同じことができないことからも、その違いが分かるでしょう。子どもが成長していく過程で、基礎的あるいは基本的な概念を獲得するには特に第一次接触面が重要です。
キャッシュレス決済などは、大人の扱うものとしては便利ですし、いろいろ有意義なこともあるでしょう。しかし、基礎的な概念をこれから作っていかなくてはいけない子どもにはあまりお勧めできません。自分の頭で考えて、自分の体や手で行うことで成長していくわけですから、もっと数を楽しんだり、数と親しくなったり、数と遊んだり、数の面白さを知ったり、そういう機会を大事にしなくてはいけないのではないかと思うのです。ですから私は、学校教育においては、そろばんの教具としての側面がもっと強調されてもいいと思いますし、民間全体では「身体知」としての側面がもっと強調されていいのではないかと思います。
谷 そういうことを、学校現場の先生だけでなく、保護者の方たちにも伝えたいですね。
―民間の教室も、そろばんの持つさまざまな魅力を子どもたちに伝えていますが、民間の教室ならではの役割とは何でしょうか。
谷 この時代にわが子をそろばん教室に通わせている保護者が気付いている「そろばんの良さ」もあると思います。例えば、そろばんの練習を通して計算が得意になり、算数などが優位な位置にくると、他の教科も成績が上がるでしょう。暗算は、文字通り暗いところでも、手をけがしていても、鉛筆や紙がなくても、計算ができます。また、竹と木でできているそろばんに指で触ることも、脳に良い影響を与えています。耳から入った知識が脳に入り、それを考えながら指の動きで繰り返すという練習を通して脳に定着していくわけです。このように目に見えないところでそろばんの効果があります。
そろばんへの興味・関心を促すため、珠算教育研究所と日本そろばん資料館では、6年前から毎年7月末にそろばんサマーミステリーという企画を行っています。夏休みの自由研究のテーマに「そろばん」を取り上げる子どもがいたら、私たちがそのお手伝いをしようということです。参加者には4年生以上の子どもたちも多く、保護者と一緒に来て、さまざまなそろばんの写真を撮ったり、私どもの説明を聞いたりして、夏休みの自由研究にまとめています。年々、作品が非常に充実してきて、この研究だったら学校の先生は驚くだろうなと思うようなまとめをしてくれます。
十進法と位取りの原理にぴったり
算数の教科書にもっとそろばんを
―最後に、これからの珠算教育が目指すべき道について、お聞かせいただければと思います。
上垣 学校でのそろばん教育でいえば、3、4年生の教科書に限定され、しかも他にも教えることがたくさんある状況ですから、どうしても時間的な制約があります。また、いろいろな活用例に関しても、わざわざ教科書に載っていないことまで先生が教材を作って教えることも難しいでしょう。ですが、そろばんは先ほども申し上げた通り十進法と位取りの原理にぴったり合う教具ですから、例えば小学校1年生や2年生の教科書に、そろばんの挿絵だけでも載せていただくと、先生は扱いやすいわけです。本文でなくコラム欄でもいいので、活用なども入れていただくとより良いと思います。
それから、例えば数の仕組みを教えるとき、教室に一つ大型そろばんがあればずいぶん変わってくると思うので、校長先生や管理職の方がそういう工夫もしていただけると、先生もそろばんの話がしやすくなるのではないかと思います。繰り返しになりますが、教具としての側面をもっと強調する方向へ進むべきではなかろうかと思います。
民間では、これからも珠算検定や競技大会はもちろん継続されると思います。ただ、脳の活性化への有効性などについても、もっと強調していく必要があるのではないでしょうか。脳科学の分野では、指先の運動が脳に刺激を与えて活性化するというのはもう常識になっているようです。ですから、身体知としてのそろばんという側面を、そろばんを扱っておられる民間の方、珠算を扱っておられる方たちは、もっと意識されたほうがいいのではないかなと思います。教育にタブレットを導入する動きが数年前からありますが、人間の認識形成から見て、理論的には第二次接触面ですから、特に小・中学生くらいまではやはり紙の本を手でめくりながら読むのと同じように、紙と鉛筆を使う教育をもっと進めていってほしいと思います。
谷 一般社会では、そろばんを計算道具として今も使い続けている方は少ないと思いますが、学校では電卓や暗算、筆算だけでなくそろばんでも計算できるということを子どもたちに知らせ、啓発していく教育は大切だと思います。
それから、そろばんには良さ・凄さがたくさんあります。そこにも目を向けてほしいです。私はこれまで23年間に、約延べ300校の小学校に伺っていますが、そのときに私の授業を見られたある先生から、「けじめのついた授業はいいですね」と言われました。その意味は、そろばんは、計算するときは計算しやすい位置に置きますが、考えるとき、あるいは他の児童の発表や先生の説明を聞くとき、そろばんを使わないときは、いつも左の横に縦にして置きます。「そろばんを左横、タテに置きましょう」と言うと、子どもたちは、聞く態度に変わります。そのようなけじめのついた授業の一つとして、そろばんの授業も非常に有効だと、参観された小学校の先生のご意見でした。そういう側面から見ても、そろばんの授業はやはり大事だと思います。
―本日はありがとうございました。