「生きる力」として必要なリテラシーとは
20面記事会計教育
未来に羽ばたく子どもたちが広く社会で活躍するためには、経済活動を理解するための「会計リテラシー」を身に付けることが不可欠だ。現行の学習指導要領解説にも「会計情報の活用」が取り上げられたところだが、学校現場では授業の進め方や教材に戸惑う声も少なくない。会計についての教育はなぜ必要なのか、そして会計リテラシーを伸ばす授業づくりはどう進めればよいのか。日本公認会計士協会の茂木哲也会長と、上智大学総合人間科学部教育学科の奈須正裕教授の対談から「生きる力」としての会計リテラシーの重要性に迫る。
日本公認会計士協会 会長
茂木 哲也
慶應義塾大学経済学部卒。1993年公認会計士登録。新日本有限責任監査法人(現EY新日本有限責任監査法人)経営専務理事(2016年~2019年)、日本公認会計士協会常務理事を経て、2022年7月より現職。
上智大学 総合人間科学部 教育学科教授
奈須 正裕
東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学)。国立教育研究所教育方法研究室長、立教大学文学部教授等を経て、2005年より現職。2023年12月より中央教育審議会委員教育課程部会長。著書に『個別最適な学びと協働的な学び』(東洋館出版社)など。
高まる会計教育への期待
中高の授業を独自教材でサポート
茂木 私たち日本公認会計士協会は、公認会計士法に基づく公認会計士の自主規制団体として、公認会計士の職業規範を整備したり、公認会計士に対する専門的な研修を実施したりするなど、その質的水準の維持・向上を担っています。
加えて、経済社会のインフラとも言える会計リテラシーの普及に力を入れています。会計リテラシーは公認会計士などの専門家や、財務・経理に携わる人たちだけが必要とするものではなく、あらゆる人たちが社会のさまざまな場面で必要なものと捉えています。
2017・18年度に周知・徹底された学習指導要領解説の中学校社会編、高等学校公民編では、「会計情報の活用」が取り上げられています。私たちが学校の先生方にアンケート調査をしたところ、授業での教え方に悩まれる方も少なくありませんでした。そこで学習指導案や生徒用教材、ワークシートなどを集めた「授業支援パッケージ」を準備し、サイト上で無償公開をしています。
私たちは会計に関する専門知識は持っていますが、実際の授業でどう教えていくかについての経験は持ち合わせていません。そこで教育関係者の皆さまにも参加していただき、限られた時数で現場の先生方が教えやすいような工夫を盛り込んでいただきました。身近な企業の例を取り上げ、生徒と先生がインタラクティブに授業を進めていけるような授業案が出来上がりました。
奈須 教育現場をさまざまな分野の専門家が支えようとしてくださっていることは、質の高い教育を効率的に行うためにも不可欠なことだと考えます。
今の学校は教える内容が過重になってきています。小学校英語やプログラミング、SDGsなどがありますし、成年年齢引き下げに伴い、中学校や高校で消費者教育などの充実が求められています。
そうなると、先生だけでは準備が間に合いません。新しく教える内容については自前主義を脱して、よい材料を専門家や民間の知恵や力を借りてそろえる「アウトソーシング」の時代に入っています。
そして先生はそろえた多様な材料を、子どものニーズに応じてどう組み合わせ、活用するかを考えたり判断したりする最終責任を持つ役割を担います。日本公認会計士協会さんの「授業支援パッケージ」も会計を学ぶ教材の一つと捉え、先生方が自分の授業に取り入れて有機的に用いていくことが望まれますね。
茂木 会計教育はこうあるべき、という押し付けではなく、先生方が授業をする際の選択肢の一つになればと思っています。料理で言えば「材料」の一つとして使ってもらってもよいですし、レシピ通りに作ればできる「ミールキット」のように使っていただいてもいいのです。そこは先生方の判断にお任せしたいと思っています。
これからの社会で必要な資質・能力とは
奈須 これからの教育は「知っている」ことではなく「知っている知識を初めての場面で活用し、判断し、なぜそれで良いかを説明すること」が求められています。これが今の国際的な学力標準ですし、OECDもこの考えに基づいて学習到達度調査(PISA)を実施しています。
現行の学習指導要領も、この世界の潮流を受け、知識だけでなく思考力、判断力、表現力、コミュニケーションなどの対人関係の資質・能力を伸ばすことを目指して改訂されました。小学校の算数も、問題が解けたら終わりではなく、なぜそうなったかを説明するような授業へと変わってきています。
知識を問題解決の道具として身に付けるには、知識を暗記させるように教えるのではなく、具体的でリアルな文脈で活かせる場面が必要です。会計教育も同じだと思います。例えば「駅前にハンバーガーショップを出してみよう」というテーマであれば、出店する場所や売上、経費を想定し、その時に「会計」の知識を用いれば、「なぜ、こうなるのか」を考えたうえで生徒は新しい知識や概念を学べます。
ただ、このような教材を作るには現場の先生の力だけでは難しいことから、専門家の力を借りることはとても有益なことだと考えています。
茂木 初めての場面で知識を活用し、判断することが求められている。これは会計の世界でも同じようなことが言えます。従来の枠組みに当てはまらない新しい取引や現在あるルールでは対応しきれない事象が出てきたときに、公認会計士はこれまでの知識や経験、常識などを踏まえて適切な会計処理を考えることが求められます。問いへの答えを探すだけでなく、そもそも実際の経済事象を捉え、どこに課題があるかといった「問い」を見つける力も大事な能力になります。
会計教育が生かされる学びや場面
奈須 ある小学校の総合的な学習の時間で、「コロッケを作って販売しよう」という授業がありました。子どもたちは町のコロッケ屋さんより安い値段をつけて完売させます。子どもたちは「町のコロッケ屋さんは、どうしてあんなに高いのかな」と校長先生に尋ねました。すると校長先生が「請求書」を子どもたちに差し出したのです。「君たちはコロッケを作るのに家庭科室を使ったでしょう。それから担任の先生にも手伝ってもらったよね。光熱費や先生の人件費はこれだけになります」と。
これは先生方が仕掛けたことなのですが、こうした学び方をすると子どもたちは、いかにお店のコロッケ屋さんが工夫をして安く提供しているか、そのうえでもうけを出して設備投資に充てているかということを理解できるのです。
こういった授業はこれまでなかなか生まれてきませんでした。というのも、学校では戦後すぐの一部の実践を除いて「お金のことを学校で扱うのはよくないこと」という考えが根強く、「利益」「もうけを出す」という概念を取り入れずに経済活動を教える傾向が強かったからです。でも、利益追求のない社会生活はありえません。正当な経済活動をきちんと教えるようにすべきなのです。ここは日本の学校教育の課題といえるでしょう。
茂木 経済に関する教育の弱さは私も感じているところです。会社を設立して初めて決算や税務申告を知る起業家も少なくありません。「会計って必要なんですね」と。アメリカのMBAコースなどでは、「ファイナンス」や「アカウンティング(会計)」は必修科目です。しかし日本の大学ではそこまでは求められていないのが現状です。
奈須 お金がどのような働きをしていて、どう回っているのか。利益を上げるというのはどのような営みなのか。運用や資本という概念をこれまで学校で教えてこなかったことの結果だと思います。
そうした現状に一石を投じた、小学5年生の「三方良し」の授業例をご紹介します。ある小学5年生の社会科で、子どもたちはブランド米の農家を取材し、「農家の人たちは安全で美味しいお米を作るために頑張って工夫している」とコメントしました。それに対して先生は「なぜブランド米に挑戦するの?」、他のお米と価格の違いを示して「もうかるからブランド米を作っているのでは?」と投げかけます。すると子どもたちは「もうけだけではないはずだ」と言います。そこで先生は近江商人の「三方良し」の経営哲学を教えます。子どもたちはそこから「売り手良し」の農家、「買い手良し」の自分たち、そして地域創生や環境配慮への貢献が「世間良し」だと知るのです。
三方良しは、経済活動の原理の一つですよね。これを教えたら、次に子どもたちは他の産業を学ぶときに「三方良しになっているのだろうか」という問いを持てるようになったそうです。
茂木 大人は「まだ早い」と感じていても、子どもは社会のことについて知りたがっているのではないでしょうか。私たちは会計リテラシーを伝える子ども向けの講座を各地で開いていますが、子どもたちは私たちが想像しているよりも積極的です。
「利益」や「もうけ」とは、言葉を換えれば「付加価値」を意味します。経済活動によって新たな価値が生み出され、私たちの生活や社会の成長の糧になることを理解するうえで、順応性が高い子どものうちから会計について学ぶことは意義があると思います。
奈須 物事のしくみの「からくり」が分かることは子どもたちにとって「楽しい」ことですよね。
情報活用能力としての会計リテラシー
茂木 ITが進歩する現代において、会計リテラシーを学ぶことは情報活用、情報選択の力も伸ばしてくれると考えています。利益計算の仕組みや決算書の読み方だけでなく、情報の非対称性や「アカウンタビリティ」という概念も会計教育を通じて学んでほしい。
昨今はITの進歩で、情報量が膨大になっています。また、情報の信頼性にも気を付けなければなりません。判断に必要な適切な情報を選び、活用する力を身に付けるためにも、会計教育を通じて情報を活用する力を伸ばしてもらいたいです。
最近では就職活動の際、企業研究の一環で決算書を読む大学生もいると聞きます。会計リテラシーを身に付けていればさまざまな指標から自分にとって良い会社を見つける手助けになるでしょう。
奈須 たしかに学生は企業情報を読んでいますね。就活を前に必要に迫られて学んだことだとは思うのですが、学校で教わってできるようになっていないのが残念です。確実な知識を体系的に、バランスよく学べるのが学校教育の強みだとしたら、多様な情報の中から、自分で判断して行動できる情報選択の力を会計教育を通して学ぶこともできると思います。そのためにはこれまでの学校での偏ったお金の教育の見方を改め、専門家の力も借りながら充実させていく必要があるでしょう。
ぜひ、日本公認会計士協会さんには、これからも教育の現場にかかわっていただけることを望んでいます。
茂木 今、全国に約三万五千人の公認会計士がいますが、首都圏などの都市部に偏在していて、くまなく学校を訪れるのは難しい状況です。そのため、私たちは、まずは学校の先生方に理解してもらうことに力を入れています。授業支援パッケージのほかにも先生向けの教材や研修動画も準備しています。
会計リテラシーは人々のより豊かな社会生活を送るうえでの支えになるものです。そこに私たちも貢献していきたいと考えています。