福島復興「ドリームプロジェクト」その後 「また会えたね!10年ぶりの100キロハイク」【第3回】
NEWS東日本大震災が起こった翌年の夏、福島県内の小学校5、6年が2週間に渡って寝食を共にし、福島の復興に向けて仲間を作り、さまざまな経験を積んだ「なすかしドリームプロジェクト」から今夏で10年。この催しに参加した当時の小学生と運営スタッフが再び福島に集い、徹夜での100キロハイキングに臨んだ。再会を果たした「元小学生」は果たして歩ききれるのか。同行取材に基づき小説としてまとめる。
ことば数減る中間地点
夜8時を過ぎてからの夕食。今夜は飲まない。飲めない。貴重な休肝日になりそうだ。
今から30年前の学生時代、「ランニング登山」という表題の本を読んだ。今でいうトレイルランニングを指南する本で、強く引き込まれた。その後、トレイルランニングを本格的に始め、最新の情報を集めたこともあり、書いてあったことはほとんど忘れてしまったが、決して忘れない内容がある。「酒」についての話だ。
今では考えられないが、この本には次のようなことが書いてあった。
「酒を飲むと、しばらくの間、疲れを忘れることができる。だが、その後、一気に疲れが押し寄せてくるから十分に注意するように」。
下り道を走ることもあるトレイルランニングで試すつもりはないが、100キロハイキングならありかな、と思わないでもない。だが、今回は取材だ。飲みたい気は起こらない。
何より、真っ暗になって景色が分からなくなってから、足が重くなってきた。10年前は小学生だった笹原武蔵さんの足にはトラブル発生。足裏に水ぶくれができたという。
10年前は、那須甲子青少年自然の家(福島・西郷村)の職員で、今は、小学校の校長になっている鈴本明彦さんは手際よく、リュックサックから素材を取り出し、テーピングしていく。もうこれで、靴の内部とこすれあうことはない。
こうした場面で使うテープはハサミなしで切れることはこのとき知った。体験から学ぶことは多い。
夜が更け、一行のことば数はだんだん少なくなっていく。笹原さんは1時間ほど同行を続けたが、疲労の色が濃い。ついに、後続する自動車に乗り込んだ。
44キロ過ぎの神社で休憩。ほぼ、中間地点だ。ずいぶん歩いた気がする。あと同じ距離を歩けばゴールだから、何とかなりそうな気はする。
100キロにおよぶトレイルランニングとマラソンを何度か完走した経験がある記者は、参加に当たって、「たぶん、今回も歩けます。ご迷惑はおかけしません」などと言い放っていた。これを激しく後悔することになる。