寄稿 まだ残る『勝利至上主義』
11面記事1年遅れで幕を閉じた東京オリンピック・パラリンピック。スポーツへの関心を改めて呼び起こす一方で、日本スポーツ協会公認スポーツドクターの八巻孝之医師(日本パラスポーツ協会公認スポーツドクター・国立病院機構宮城病院総合診療外科部長)は、小学生期にも残る勝利至上主義への警鐘を鳴らしている。過度な負担が将来への芽を摘む危険があると指摘する。
日本スポーツ協会公認スポーツドクターの八巻孝之医師
大会で何度も優勝している、ある小学生の野球チームの事例を紹介する。このチームの小学生らは、週末のたびに練習試合があり、試合の日はいつもダブルヘッダーをこなす。平日も毎日練習しているのだが、試合当日の前後に行う練習は特に熱心だ。
ある休日、筆者の日直勤務時間帯に来院した小学生は、「体に不調を来してもなかなか休めない、痛いと言ったらレギュラーを外されてしまう」と話した。痛みに耐えきれず病院に来ても、2~3カ月の保存治療を行う余裕など、小さな選手らには微塵もない。
この事例のように、小学生における野球障がいの背景には、「勝つために長時間練習する、ミスは許されない、休めない、痛いと言えない」といった子どもなりの事情がある。
さらに、「高校までに活躍しないとプロ野球選手になれない、強豪校に入るのが目標」といった将来の夢や希望がある。だから、小・中学生の時期から練習量が多く、練習時間も長い。そして、痛みを抱えたままチームの期待に応えられず、バーンアウトしていく選手も少なくない。
楽しめぬ小・中学生
本来、「スポーツ」という言葉は、「楽しむ、気晴らしをする」といった意味を含んでいる。しかし、武士道の鍛錬や修行といった要素が融合した日本のスポーツには、厳しい練習に耐えることや厳格な上下関係が未だに根強く存在している。
特に野球は、教育の一環として「根性」を鍛えることに利用されてきた面がある。しかし、根性論や勝利至上主義といった考えが本当にスポーツにとって大切であるのだろうか。
成長期にある小・中学生たちがスポーツを心底楽しめない現状に身を置いている。成長線が残る骨が成長期にある中で、関節にまで負担をかけてしまえば障がいが引き起こされる。後遺症を抱えたり、高校で痛みを再発してしまう状況を作り出すことは全くの論外である。障害を負わせてまで子どもたちにスポーツを強いる必要はない。
米国の子も夢は同じ
ここで、負荷を減らし、障がいを予防しながらジュニア期の選手を育成するアメリカの育成主義を紹介する。ジュニア期の選手らは、メジャーリーガーを夢見ている。日本の子どもたちと全く変わらない。
しかし、日本と相違する考えが強く存在する。それは、「いかに選手が夢を見て楽しく取り組めるか、その中で子どものいいところをどのように伸ばしていくか、高校生でさらに伸びるために障がいを持たせない」というポリシーである。
常に勝つことは求めない。自分たちが負けたら勝った相手をリスペクトしている。自分たちが勝ったら負けた相手を讃えてエールを贈る。スポーツを楽しむ子どもたちのメンタルを育成しているのである。一言でいえば、「勝利は後から付いてくる」という、スポーツマンシップ教育である。ジュニア期のスポーツ指導においては、世界基準の考え方と言える。
将来の財産奪う
日本では身体能力の高い選手に、チームの主力として過剰な期待が寄せられる。活躍するから、試合に出されることが多くなる。そういう選手にはより多くの注意が必要である。ジュニア期のスポーツ選手が遭遇する障がいは、子どもたちの将来の財産を奪うことに等しいからである。
スポーツにおける不慮の事故に対応するのは、スポーツドクターの大きな使命である。スポーツ指導者には、繰り返す負荷を取り除き、練習過多によって発生する障がいの予防に積極的に取り組んでいただきたいと思う。
特に小学生の時期の障がいは、すぐに現れるとは限らない。高校生やその先において痛みが出やすくなったり、痛みを繰り返したりする。結果的にスポーツからドロップアウトせざるを得ない場合が少なくない。
けが、いじめの危険
スポーツ指導者が高圧的であると選手は怪我をし易くなるという報告がある。スポーツが持つ楽しさや喜びとのバランスが崩れると、暴力やいじめなどの問題が生じやすくなるとも言われている。
絶対的な上下関係がある集団では、ハラスメントなどの問題が起こりがちとなる。指導者が放つ叱咤、怒声、罵声は、子どもたちの精神的負担となり、これが身体的負担にもつながる。倫理に反する言動に適切に対処すること等、指導者としての心得を遵守することは、指導者の責務であることを理解して行動することが大切である。
ジュニア期は人格形成期にあり、指導者への依存度も高い。そのため、倫理に反する言動の悪影響は深刻化しやすい。
スポーツ指導者は、心身、社会面の発育発達、スポーツそのものや所属チームのモラルなどに十分考慮した指導をするとともに、スポーツに向き合う子どもたちが、本来スポーツが持つ、楽しさや気晴らしができるように心がけることが求められる。
スポーツ指導者は、自らが関わるスポーツ活動のあらゆる場面でキーパーソンとしての役割を期待されている。もちろん、スポーツにおける倫理的な問題は指導者だけに責任があるわけではない。こうした問題の解決には日本スポーツ界全体で取り組んでいく必要もある。
勝利至上主義になる考えを止めるきっかけは、障がい予防のための法整備と競技ルール改正であろう。楽しいはずのスポーツが根性スポーツに成りがちな日本スポーツ界全体が抱える課題に、今まさにメスを加えなければならない。(寄稿)
やまき・たかゆき 東北大学卒。医学博士。感染制御、医療安全、医療コミュニケーション、災害医療・労務管理、地域医療、病院経営論、スポーツ医学などをテーマに執筆中。東京2020メディカルスタッフの視点で論述した「東京五輪まで1カ月、真のレガシーを問う」が全国保険医新聞6月25日号に掲載。