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【寄稿】ウィズコロナ時代、学校が偏見と差別で壊されないために

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論説・コラム

 「NIKKYO WEB」に回を重ねて寄稿していただいているフリーライターの島崎由美子さん(薬剤師)から、コロナ禍が長引くなか、差別と偏見に関する論考が届いた。学校では児童・生徒に対し、感染症に関する正確な情報を児童・生徒に伝えると共に、何が差別・偏見なのかを教える必要があるという。


島崎由美子 フリーライター/薬剤師

 新型コロナウィルス感染症が日本社会を揺さぶり続けたこの一年、政府が求めた3密の回避やマスク着用といった「協力要請」や「道徳規範」が前提の危機管理は、常に脆弱性がつきまとい、感染の拡大だけでなく、感染者への差別や偏見を生み出し、社会の息苦しさが加速しました。

 偏見はなぜ起きるのか、私たちの社会ではなぜ差別や行き過ぎた行為を繰り返えされるのか、そのプロセスを再考し、私たちは今起きている偏見や差別にどう対峙していくべきか、考えてみました。

 差別の問題が最初に表面化したのは、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号の医療関係者でした。診療に当たった医療関係者が、中傷されたり、子供を保育園に登園させないよう求められたりしました。

 自粛要請に応じない店に嫌がらせをする「自粛警察」、感染が拡大する地域から帰省した人への偏見、他県ナンバーの車への攻撃など、差別や偏見の対象や内容は多岐に渡っています。

 感染した本人やクラスターが起きた組織に向けられる差別も深刻です。私の生まれ故郷、宮城県丸森町の隣町で発生した感染者が引っ越しています。個人の住所や職場が特定され、引っ越しを余儀なくされたケースも珍しくないようです。

 クラスターが発生したある学校では、生徒の顔が分かる写真がネットに上げられ、「マスクを付けなかったから感染したんでしょ」という非難がエスカレートしました。地域から排除するような言葉も次々に書き込まれたそうです。

 特徴的なのは、それがネット上のSNSで書き込まれること、そして、それをシェアしたり、さらに書き込んだりする同調者が現れることです。学校の中で最初に感染が判明した生徒が感染源になったと誤解され、感染した子供たちに罪の意識を抱かせる不当な誹謗中傷は決して容認できません。

 感染者への差別は感染対策にも深刻な影響をもたらしています。保健所は、感染の経路や濃厚接触者を調べますが、差別されることを恐れるあまり誰と接触したのか口を閉ざす人が増えているといいます。差別が怖くて検査を受けたがらないケースが出ていると語るニュースも垣間見ました。偏見、そして差別は、感染拡大の温床になるのです。

 一方、「道徳自警団」や「自粛警察」の人達は、しばしば「地域を守るため」「家族を守るため」、善意でやっていると分析されていますが、明らかに行き過ぎた行為です。正義であると信じるのは個人やグループの勝手なのですが、それを社会秩序と勘違いして行動することで社会問題化しています。

 ウィズコロナ社会には疲れやストレスが溜まり、心が荒んでいるのはわかりますが、人の心を強く叩く行為を正義という言葉でコーティングしても許されません。

 このように、昨今の社会は他人に対して「寛容」ではなくなっています。世界的にみて特に寛容性が低いと言われる日本の他者排除的社会では、新型コロナウィルスの感染者数が漸増すると、身勝手に社会防衛的な正義感を生み出され、感染者や患者に対する偏見と差別が助長されてしまったようです。

 見えないものまで敵になってしまったのは、このようなものを生み出してしまう社会教育のプロセスに問題があるからだと私は考えています。

 感染症をめぐる差別はこれまでも繰り返されてきました。今ではすっかりメディアに取り上げられる機会も減ってしまったエイズ。医学の進歩によって死亡者が激減したことも世間の関心が低くなった理由の1つとされていますが、26年前には社会がパニック状態に陥っていました。

 そして今もなお、感染者や患者に対するプライバシー保護と人権擁護の観点が欠落しています。HIV感染症は、感染者と患者に対する偏見と差別だけを残してしまいました。

 感染症によって差別が起きるメカニズムを日本赤十字社が「3つの顔」で紹介しています。

 1つ目の顔は、病気そのもの。2つ目の顔は、病気に対する不安や恐れ。

 その見えないものへの不安や恐れが感染という見える形になって現れた時に、遠ざけ排除しようとする3つ目の顔の差別。差別は受診をためらわせ、感染を拡大させる負のスパイラルに陥りやすいと警鐘を鳴らしています。

 感染拡大を防ぎながら、社会を回していくことが求められる今、感染リスクをゼロにする、いわゆる“ゼロリスク”は現実的ではありません。ウイルスの感染力や重症化リスクがわかってくるにつれて、過度に恐れる必要もなくなってきています。ですから、正確な知識に基づいて誤解や偏見を解消していくことも必要だと思います。

 私はそれに加えて、どういった事象が「コロナ差別」なのか、子供たちにもわかるように具体的に例示してほしいと思っています。未然に防げる差別はあると思うのですが、差別の対象も内容も多岐にわたる中で、単に「差別はダメ」ではなく、事例をもとに児童・生徒自らが判断できるようにすることが、偏見や差別の温床を解決していくための第一歩になるのではないかと感じています。

 学校では、感染対策が必ずしも十分ではなくても児童・生徒への非難や攻撃が正当化されないようにすることが最も大切です。教育現場において、差別が感染対策の敵であること、感染対策の徹底がゼロリスクを意味するものではないというメッセージを、これまで以上に強く打ち出してほしいと思っています。

 「感染し治癒した生徒が学校に戻ってくる」という段階に本格的に入ってきています。教育現場では、感染対策を進める一方で、新型コロナウイルスによって学校が偏見と差別で壊されないよう取り組んでいってほしいと切に願います。感染しても「ただいま」「おかえり」と言い合えるように。

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