大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第83回】
NEWS学校と賭け事
しばらく前まで、賭けマージャンや賭けゴルフは、至るところでやられていたのではないだろうか。新採教師となり、教頭に連れられて知人の校長宅へ、そこには小学校の時の恩師が雀卓を囲んでいた。
よく殴られたので忘れはしない。それ以上に驚いたのは、座布団の下や耳にお札を挟んでマージャンに夢中になっていたことだ。
また、市の校長会の長がパチンコ屋の常連で、その脇に箱が積まれていたのに驚いた事が何度かあった。
博打は、スリルがあり、満足感があり、面白いのかも知れないが、ほとんどが損をすると言われている。私は早々に辞めたので、未だにマージャンの役も知らないが、知った振りはしている。
最近は、健康マージャンというものもあるが、正直、運動しながらやるのかと思っていた。所詮は勝負に自分の大切なものを掛けると、真剣にもなるし、面白味も倍増するのだろう。
ゴルフにもオリンピックという賭け方があった。グリーン周りでの距離を遠い者から、金銀銅にしていたようだ。何の事か分からなかったが、プレーしていた全員が教育長などの要職の先輩だった。
そう考えると、賭けマージャンで退職し、退職金をもらえるという今回の事態は、酷いことだが、同じようなことは教育界でもよく起きているものである。猿が木から落ちると言うのか、よりによってこの時、まさにドラマを見ているようで笑ってしまう。
裏の駆け引きは分からないが、サスペンス小説の中にいるようだ。こうした人間達を育てたのも教育である。教えた先生には、コメントを出して欲しいと思う。
何故なら、本気の心に突き刺さるような教育であったなら、迷惑を掛ける人々の顔が浮かぶはずである。次の人事に山をはって、金品を賭けずとも、的中させようとする面々も多いのではないだろうか。所詮は他人事だから出来るのである。
こうした輩に法を利用されて、判断されて冤罪にされた者達は、恨んでも恨みきれないだろう。合法な賭博であろうとも、人間の欲の成せる行為である。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)