大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第81回】
NEWS道具遊びにならぬよう
遠隔授業の課題を、相互に感じはじめているように思える。確かに声も聞けるし表情も見られるが、どちらもミュートや壁紙に出来る。さらにタイムラグがあり、スムーズ感はあまりない。ある意味、フリールームであり、会話を聴いていなくとも分からないのである。
元来こうした遠隔授業は、相互の思いが高く必要に応じてやっている事が前提になっていた。よって意欲に支えられて距離感が近くに感じられたりするものだ。すべてが遠隔授業となると、それしかない選択で行っているため距離感が自ずと出てしまう。深く迫ったり、発言を促したりといったことが難しくなる。所謂、バーチャルなのである。
明らかに冷めた感じになり、熱を感じないし、感じさせられないのである。空間を共有してきた感覚からは違和感を覚えるものとなっている。その中で効果的な授業をするには、平常の発問や指示ややり取りでは成り立たない。グループでの話し合いにも工夫が必要になる。
情報教育指導主事をしていた時の事が思い出される。詰まるところ道具は道具であって、授業の内容がしっかりしていないと道具遊びになってしまうと言うことである。それは今も変わらない。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)