大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第56回】
NEWS今だから出来るシリーズ(2)
私は13年間担任をして10年間6年生を受け持った。それも連続していたので、教科書を見なくても教える内容は覚えてしまっていた。それは熟練とも言えるが、マンネリの影が忍び寄る事にもなる。
6年生ともなると学力差は激しく、どこに焦点を当てた授業や発問をすればよいのか、いつも迷った事を思い出す。
ある時、マンネリ化している自分を戒める為にもと、1年生からの教科書を読み直してみた。かなりの時間を要したが、「ここであの子が躓いたのか。これが曖昧だと次は分からない」といったことが分かってきた。系統は階段のようなものだから、まだら理解では何処かで行き詰まる事になる。
3年生辺りになると急にハードルの幅が広くなり高さも増してくる。そうした思いで教科書を読み込むうちに、児童一人一人の躓きがハッキリしはじめて来る。
それはあまりに残酷な事でもあり、個々の課題や理解を、どこで、どのようにリカバリーすればよいのかと考えてしまう。すなわち、このシステムの中で身動きが取れずに、少しずつ、脱落させて行ってしまったと今さらのように自戒している。
一回の説明で理解する児童もいれば何十回説明しても理解出来ない児童が混在しているのが学級なのである。理解力や暗記力などで差ができ、格差を広げて、優越感や脱落者を生み出す授業になってはいないだろうか。
そこで、今こそ、個々の躓きを探る為にも、教科を絞って1年生から読み直して見てはどうだろうか。医師でいうなら疾患や病巣を見破り重篤になる前に適切に処置する事に似ている。教師はそこを曖昧にしている。専門性に欠けると言われても言い訳出来ない。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)