大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第45回】
NEWS見当をつける
先が見えないときに何をすべきか。ある意味、先の見える事の方が少ないのが現実である。
学びの中で、「見当をつける」というものがある。まさに非認知能力である。危険予知能力とも言える。よく評論家や占い師が後から自慢げに「やはり私の言った通り」と放言するパフォーマンスが出現する。それはさておき予定通りにならないのが人生そのものと捉えるべきである。
地球市民や、シティズンシップという意識がコロナによって実感されている。災難には必ず意味があると先人達は伝えてきた。今がその時なのである。
緊急事態宣言の効力は、国によっても異なる。国民性や地理的な条件からかなりの開きが出る。個人情報保護が、危機を高め、不信を増長する。根拠のないフェイクや排除も起きる。他国との比較で見るのではなく、昨日と今日の変化から判断すべき事は多いし、確実である。
人も違えば、地形や風土も異なり、食材も価値観も同じものは何一つとして存在しない。道徳観や倫理観も大きく異なる。よって自分や自国を基準にして考えるのは成り立たない。
新型コロナウイルスを前に共通しているのは医療体制の限界である。保健所がいつの間にか削減されていたことを知った。これも政策によるものだろう。教員採用試験の為の健康診断も時期の猶予を見当し、早目に打ち出すべきではないだろうか。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)