生徒指導~小学校段階での考え方~【第164回】
NEWS「叱責して試みるべし」
饒舌に話すことが、生徒指導とは言えない。話が上手いとか、文章が上手いとか思い始めると、慢心や策にはまり、裸の王様になりやすい。
「長」の役が付くと、鎌首をもたげる者をよく見かける。知っている者には愛嬌を見せるが、初対面は軽く扱い、見下げるつもりはなくとも周りからはそう見えてしまう。飲食店でこれをやると新規の客は2度と来ない。
他意はなくとも、人の振る舞いは誤魔化せない。饒舌であればこそ敢えて丁寧に話す。流麗な文章が書けるからこそ、読み手が安心する分かりやすい表現を心掛ける。そういう自分も未だ出来てはいない。
「長」が長くなると知らぬ間に慢心がこびりつく。所詮はそこまでの器である訳だが、極めて醜い。若者にはそうならないように、自戒を込め、この点を何度も何度も具体的に指し示す事が重要なのである。後では間に合わないからだ。
その判断は、笑顔にある。特に否定的な事を言われたときに本性が現れる。賢人か否かは「叱責して試みるべし」と古来より言われる。
その意味では、敢えて反発を促すような考えをぶつける事も必要となる。後継を育てるには、せねばならない試練なのである。真の笑顔は試練を乗り越えてこそ輝く。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)