大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第32回】
NEWS分からないつらさを理解したい
中2の生徒が祖父母に連れられて相談に来た。成績が低くて勉強についていけない。「先生の噂を聞いて」とやってこられた。
塾にも行ったが講師の話は理解出来ない。そこで家庭教師も紹介して欲しいと言われた。将来の希望は俳優を目指したいと話した。
教師も塾の先生も勉強が苦手で自信のない人はいないし、それなりの大学や成績を基準に採用されているのだから、所謂学力のあるまたは高い人が講師であり先生なのである。
私のように中学生・高校生のころ、クラスでの成績がブービーかビリで、赤点がほとんどでレポートと補習でやっと高校を卒業した人は珍しい訳である。しかし、人は使命を自覚したときにその才能の芽は急速に伸びるものであると、私の恩師が教えてくれた。
その後、通信教育で免許を取って教員になった後、40歳の時に県の教員採用選考、管理職選考の責任者となった。勿論、すべての問題に目を通し、自分で解いて難易度を判断した。後日、この経験がどの教科でも指導できる素地となった。
授業が理解できないのは、教える側に一切がある。分からないつらさを理解し、思考の欠落を補うため、喩えを使い、模型を使い、絵を描いて工夫して、面白く教えることが教師の醍醐味である。
思案の結果、暫くは私が個人授業をする事にした。どうも今どきは、教え子が分からないままどんどん見過ごされ自信が持てないようにする授業が大半に感じられる。
教師は、児童生徒がどこでつまずいているのか、その心理も理解して、絶対にひとりも見捨てないという信念を失わない事である。それは教師のSDGs(持続可能な開発目標)なのである。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)