大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第8回】
NEWS学校でお世話になった方が亡くなったとき
交通安全指導を長年して下さった方が病で亡くなった。線香をあげて手を合わせたら、心に伝わるものがあった。
「先生、私がどれほど子どもたちを大切に思っていたか、伝えたいの」という声が聞こえてきた気がした。
さっそく、全校朝会を学校葬とした。ご主人とお嬢さんにお越し頂くようお願いした。当日朝、私の後にご主人が遺骨を持ち、お嬢さんが遺影を持って入場された。子どもたちの様子も普段とは大きく違った。
静まり返った体育館のステージの祭壇にお骨と写真を置き、私から経緯を話して、ご主人とお嬢さんからそれぞれにお母さんがどれほど子どもたちを愛していたか、大切に思っていたかを切々と伝えて下さった。
わずか数分のことではあったが、体育館を出る時に、手を合わせる子どもや、すすり泣く保護者や教師が大勢いた。初めてのことではあったが、すべきことを躊躇せずにさせて頂いたと今も思っている。
お世話になった方が亡くなっても、それを可視化しないことが多いように思えてならない。
昔遊びに長年携わって頂いた方が続いて亡くなり、告別式での弔辞を頼まれた。シルバー合唱団の指揮者として「野に咲く花のように」の笑顔の指揮姿が焼き付いていたので、それをイメージして全員合唱をして言葉を添えた。後日、ご子息から、「そんなに父は愛されていたんですね。初めて知りました」と深々と感謝されたことを思い出す。
(おおくぼ・としき 亜細亜大学特任教授。千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)