生徒指導~小学校段階での考え方~【第12回】
NEWS多忙化の陰で(下)
意味のない話し合い、時間つぶしの話し合い、とりあえずの話し合い、教師の都合のワークシート、理解していなくてもとりあえず書けるワークシート、空欄を評価しないワークシートと、見かけばかりの授業をよく見かける。授業で大切なポイントは、教えるべきこと、考えさせること、気づかせることをはっきりさせてから臨むという基本であると私は伝えてきた。
また、生徒指導の基本に「あいさつのできる学校」と掲げて、校内に入ると声に張りのない教師に出会うことがよくある。まずは校長ができていない。やって見せることは恥ずかしいことではなく、やって見せないことが恥ずかしいことなのである。
やって見せてくれる元気な先生が大好き、とはっきり言える小学校低中学年が一番指導効果が出る。
しかし、高学年を希望しない傾向が強く、1年生も持たせられないとなると、自ずとこの一番の指導効果の出る学年に希望が殺到する。それは一番指導効果の出る学年に指導効果の疑問な先生を配置し、子どもの能力を衰退させることでもあるが、自分の「持ち駒」では仕方ないとしている校長は少なくないと思われる。
だからこそ、はっきりと映るのである。聖人君子を気取っても長くは持たない。ある意味、熱い鉄は鋳型にはめられれば、本人意志や能力に関係なくその形になってしまう。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)