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生徒指導~小学校段階での考え方~【第3回】

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教科・指導

「小1」の大切さと非認知能力

 批判を羅列し、具体的な解決案を提示しない研究協議会に出席した。仲間内の共感や同族意識は高まるが、高慢さと、偏りと、虚しさが残り、明日への活力にはならない。「カリキュラムマネージメントは傍迷惑」、「働き方改革も実を伴わない」と指摘していた。確かにそう受け止めるのも一理あるが、学校現場は能書きでは動かない。
 よって、私は、削ぎ落とすべきものを削ぎ落とすチャンスと決めているからチャンスにしか映らない。新任校長の育成を任され5年を迎える。これまで大臣に直接進言したことも何度かあるが、現場に落ちてくるとおかしくなっている施策が多いのは確かである。
 学習指導要領は、法で保証されたものであり、この範囲でやればよいのである。また、義務とされた内容でも実際の裁量権は広い。よって不登校でも卒業はさせることができる。それに比べ公立高校には未履修、退学がある。公立を公共と読み替えた場合、公立高校の退学は妥当なのだろうか、困難高校で生徒指導を受け持つ妻によく問うことがある。ドロップアウトした生徒たちの行き先は見えているのだろうか。「手に負えない」になっていないかと。
 高校には特別指導というものがある。すなわち校長が本人に処分を言い渡すことである。現状は厄介払いに私には感じられる。
 発達段階に応じた生徒指導を考えてみると、そのスタートは小学校1年生にある。多様な保育園や幼稚園から集まる小1の生徒指導こそ専門性の極みであり、待ったなしの場ではないだろうか。とかく中学校以上に比べ小学校教諭の専門性は低いと放言する輩がいるが、本当だろうか。学校現場の指導では非認知能力の方がはるかに重要となる場面がある。
 また、俯瞰ばかりしていると現場に立ち向かう勇気が削がれ、適当な評論をする癖が付いてしまう。研究と実践指導は車の両輪なのである。その一番の試練の場こそ、小一スタートの生徒指導、生活指導そして保護者指導である。よって、その指導を経験した者が生徒指導を語っていただきたい。過去の肩書きや名声よりもよりも、今、小1の子どもたちを前に何ができるかに尽きるのではないだろうか。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

生徒指導~小学校段階での考え方~